古時計の話

腕時計、柱時計、置き時計、目覚まし時計。いまわが家にいったいいくつの時計があるのだろう。数えたこともない。数えようとも思わない。動かなくなった時計も数かぎりない。捨てられることもなく、引き出しの奥に眠っている。そして忘れ去られている。

いつだったか、もう20年以上も前のこと。五月晴れの日曜日、受け持ちのクラスの生徒が大挙してわが家に遊びに来た。
その前日、職員室のぼくのところに代表の何人かがやってきて、
「先生、みんなで明日行きます」
とのこと。もちろん来ることはすでに知っていた。何日も前から誰彼となく告げに来ていたから。予定にも組み入れていた。
知らせに来た生徒の一人が唐突に、
「先生の家に時計はいくつありますか」
と尋ねた。いきなり奇妙なことを聞くものよと、何気なく「たくさんあるよ、数えたこともない」と答えた。
すると、「ほら、やっぱり」と、その生徒はみんなを振り返ってささやき、互いにうなずき合う様子である。ほんの一瞬のことで、見逃せばそれっきりではあったが、なんだか気まずい空気に触れた気がして、ぼくは自分の言葉を咀嚼し直してみた。
そして当日、道路に賑やかな声が響き、門がガチャガチャと開けられ、ドアホンが鳴った。玄関を開けると、はち切れそうな声が家の中に飛び込んできた。開け放っていた座敷と応接間はたちまち満杯になった。
いっときの喧噪が静まり、ぐるっと大きな輪を描いてみなが腰を下ろした頃合い、代表の一人が
「これお土産です。先生の家にはたくさんあるそうですが、すでに買っていたものですから、すみません。どうか大事に使ってください」
そう言って、下げていた紙袋をそっとぼくに差し出した。「あっ」と、思わずうめきそうになった。昨日の意味はこれだったのか。とんでもない返答をしたものだ。彼らを傷つけた申し訳なさでいっぱいになった。
その場で開けると、中から砥部焼の皿でしつらえた置き時計が出てきた。
「うわあ、すごい。これ、みんなの小遣いで買ってくれたのかなあ。高かっただろう。ありがとう。こんな立派な時計、先生見たこともないよ。昨日ね、たくさんあるなんて言ってしまったんだけどね、あれはウソウソ。壊れて使えない時計がたくさんあるだけなんだ。大事に使わせてもらうからね」

その時計、今も応接間の棚の上で動いている。切ない涙をとどめているようで、見るたびに、「時計はいくつありますか」という、あの日の声がこだましてくる。
彼らはもう30代半ばをすぎた。世の中を動かす中核になろうとしている。

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裏のふたがすぐにぱかっと外れてしまう、使い古した目覚まし時計がある。外れても外れても、修理して使ってきた。たぶん、買って20年にはなる。
この時計、鳴り始めて止めずにおくと、幾段階にも分かれて音がどんどん大きくなり、最後にはけたたましい騒音になる。布団から手を伸ばして時計の頭をばしっと叩くと、鳴り止む。しかし、5分もすると再び鳴り始める。そこが気に入ったのだ。目覚まし時計は何個もあるが、もっぱらこれを使ってきた。
音を止めてしまうには、時計の横のスイッチをひねらないといけない。寝過ごし防止のために、ぼくは布団から完全に起き出さない限り、スイッチはひねらないことにしてきた。だから、ときには3度も4度も、時計はけたたましく鳴り騒いでくれる。

妻は結婚以来、ぼくが起きない限り起きない主義だから、時計を止めるのは大概ぼくの役目である。

慣れ親しんだその時計、この春からは事実上、引退の身となった。ぼくが仕事をリタイアし、定刻に起きる必要がなくなったから。
リタイアの現実を最初にまざまざと実感したのは、毎夜習慣のようにセットしていた時計をセットしないで寝てよいことに気づいたときだった。

今も一応、それがないと落ち着かないという気分で枕元に置いてはいるのだが、使うことは滅多にない。時計にたたき起こされることなく、自然の目覚めのままに起きればよい暮らし。なんと優雅なことか。

とはいえ、歳は目覚めを早める。勤めがあったころよりも早く起きる日が多い。
目覚まし時計は、そんなぼくを見て、黙してほくそ笑んでいる。
ぼくもまた笑い返してやるのだ。君はぼくに毎夜たっぷりの睡眠を与えてくれていたんだねって。

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遠い日、わが家の六畳間に柱時計がかかっていた。記憶の始まりの日から中学生のころまで。
チクタクと揺れる振り子。かすかな音だが、子供のぼくは敏感だった。ぼくの時間は振り子とともに動いていた。
当時ぼくは、リズミカルに揺れる振り子を見て、振り子が時計を動かしているものと信じていた。止まると、父がよく振り子を手で揺らしていた。弾みをつけると、また揺れ始めた。いかにも振り子が時計を動かしているごとく見えた。
しかし、考えてみれば、振り子が時計の原動力であるはずはない。振り子は時計のペースメーカーにすぎない。たしかに振り子の揺れに連動して歯車が動き、時計は時を刻むのであるが、振り子が永久機関になれるはずはない。
歯車を動かすことで振り子はエネルギーを失い、それに加えてあちこちに摩擦も生じているだろう。自分で勝手に動き続けるわけがない。
しかし、見ているかぎり、振り子はいかにも自ら動いているのである。それが実に不思議なことろである。
振り子を動かしているのは、ゼンマイという駆動機関だ。止まると父がゼンマイを巻いていた。ゼンマイを巻いた後だ、手で弾みをつけていたのは。

あの柱時計、父が新しい時計を買ってきたとき、ぼくがもらった。もらって分解してしまった。ばらばらに部品を取り外した。といって、その動作原理を極めようとしたわけではない。ばらして、また組み立て始めたのだ。要するにジグソーパズルに似た遊びのつもりであった。
元に戻せたかというと、それは無理だった。しかし、数日間は熱中し続けた。
そして、熱中の結果、振り子が歯車を動かす仕掛けを知ることができた。ゼンマイの力がその根本にあることもわかった。さらには、振り子を揺すり続ける仕掛けも発見した。すべては、みごとに単純化された仕組みの中に一体化されていた。
時を正しく刻まなくなって捨てられた古時計ではあったが、分解してみると、あの古びた木箱の中に驚くばかりの人知が詰め込まれていたのだ。それを眼前にしたぼくの驚きは尋常ではなかった。

付録として、ぼくの好きな寺山修司の歌を一首
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

(2010/11/24)

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この記事へのコメント

2010年11月24日 19:58
三十八歳

読ませていただきました


楽しいこと、それは喜びである。

楽しいこと、それはやさしい心を生むこと

思い出しました。

完全に忘れていた思い

ありがとうございました

ありがとうございました

ありがとうございました

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