明日の朝、神様がいらっしゃるよ

先日、叔母を訪ねたとき、
「NHKのラジオ深夜便で流れている『明日の朝、神様がいらっしゃるよ』という歌、子供の声で、すごくかわいらしくて、いいのよね」
と聞かされた。
「私はもう歳で、録音することもできないから、Kちゃん、一度聞いてみて、録音したらいい。」
とも。放送時間を尋ねると、
「歌がかかるのは0時台か3時台」
平気な顔で答える。まさしく深夜だ。「へえっ」、思わず叫んでしまう。
「叔母さん、本当にそんな時間にラジオ聞いてるの?」
そうだという。それも、相当に熱心な視聴者だ。番組の雑誌「ラジオ深夜便」の定期購読者でもある。86歳にして、まだまだ若い。

その『明日の朝、神様がいらっしゃるよ』(岡本おさみ作詞、宮川彬良作曲)だが、なかなかぼくは聞けなくて、今日アマゾンでCDを注文した。10月下旬に発売になったものらしい。
歌はまだ聞いていないが、歌詞だけは手元にある。いい歌詞だ。

明日の朝 神様がいらっしゃるよ
森の木立をぬけて注ぐ
光の道を通って

明日の朝 神様がいらっしゃるよ
遠い約束 果たすために
光の中へ もうすぐ

「光」、これはキリスト教においては、宇宙の始まりであり、生命の源であり、キリストそのものである。
創世記には、神による天地創造の第一日目の仕事として、

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。

とある。また、ヨハネによる福音書には、

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

とも。神が約束された救いを、光のイメージを通して見る。これは信仰というより、一つの体験であろう。
私にもその体験がある。十年あまり前、死の縁をさまよう重度の病に陥ったときのこと。生と死の境にあって、耐え難い苦痛を味わっていたとき、ベッドに横たわる私の目の前にほのかな光の輪が現れ、私の苦しみをあるがままに、ともに受け止めてくれた。私はそれによってどれだけ癒され、生きる力を与えられたかしれない。

苦しみはもうない
悲しみはもうない
ロバを連れて 迎えに行こう

ロバは、キリストが受難を予知しながら、エルサレムへの最後の道をたどったとき、弟子たちに命じて用意させた乗り物である。
その意味で、ロバはキリストの受難の象徴であり、同時に、受難を通してわれわれの罪をあがない、われわれに永遠の救いを約束された、その救いの象徴でもある。
苦しみも、悲しみも、それによって取り除かれるのである。

明日の朝 神様がいらっしゃるよ
愛を汚した罪人たちに
剣の裁きを下しに

ああ、何と神の愛は過酷なものか。
マタイによる福音書に、

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。

とある。

途中の数節を省略し、最後から2節目は

明日の朝 神様がいらっしゃるよ
涙の跡を癒すために
血が流れた草原に
血が流れた草原に

「血が流れた草原」とは、何と生々しい表現だろう。ぬるっとした血糊の温みすら感じられる。「剣の裁き」に呼応しているのだろうか。あるいは、現実の人間世界の愛なき無情さを象徴しているのだろうか。

人の世の無情をも超越して、神はわれわれに愛をもたらしてくれる。

ロバを連れて 迎えに行こう
風が走る 草原に

心地よい終章である。

(2010/11/12)

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この記事へのコメント

まりりん
2010年11月21日 23:54
「明日の朝神様がいらっしゃる」という合唱曲、今朝主人から初めて聞き、検索をしたらこのブログにたどり着きました。詳しい歌詞と聖書の引用がとても嬉しく思いました。ありがとうございますm(__)m私は、女声合唱をしているので 大変興味があり、CDを早速取り寄せたいと思います。

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