テニスコートの記憶

【テニスに夢中】
ぼくはある時期、そうだ、今となってはある時期としか言いようのない過去完了のある時期、テニスに夢中になっていた。持病が突如最悪の事態を引き起こし、倒れ込むように入院してしまうまでの20年間ほどだ。持続したその期間を、今や「人生のある時期」と言わねばならないのは、年を重ねた人間の宿命とはいえ、つらい現実にちがいない。
学校に勤め始めて間もないころ、2人の先輩教師が、いつも2人きりでのどかに楽しんでいたテニスというものを、日々憧れの目で眺めていた記憶が懐かしい。そこに、いつしか1人、2人と加わる人が現れ始め、しばらくすると、テニスサークルとでも呼べそうな大きなグループになっていた。ぼくもその一人だった。
毎日1,2時間、コートに立たない日はないまでにのめり込んでしまった。燃え上がった火は尋常ではなかった。暑くとも、寒くとも、ときには少々の小雨をついてでも、狂ったようにぼくらはテニスに熱中した。
凍てつく真冬、クレイコートはコンクリートのように固かった。それでもぼくらは、かじかんだ手でラケットを握り、寒風に身を震わせながらボールを追った。しばらく駆け回っていると、足許が何だか不思議に湿ってきた。やがて水が浮き出し、コートの表面がねばねばした粘土状になり、ついには泥田と化してしまった。
かちんかちんのコンクリートと見ていたのは霜柱のせいだった。走り回っているうちに、見えない霜柱が踏みつけられ、圧力で熱を帯び、解け始める。解けた水は表面にしみ出す。はじめは土の色が少し黒ずんだと感じる程度だが、時間とともにぬかるんできて、すっかり解けきったときには、コートは一面泥の田になるのであった。
ボールを追う一足ごとに、泥がピチャピチャと跳ね上がる。逆にボールはちっとも弾まない。「これでは、もうやれんな」と誰かが言うのを待って、その日のテニスは終了となった。
これが二度や三度の経験ではなかったのだから尋常ではない。
夏のテニスは灼熱の炎天下だ。照りつける太陽は、針のように肌を刺し、じりじりと皮膚を焼く。体内から見る間に水分が蒸散していく。熱射をさえぎるものなど、どこにもない。陽炎にボールがひずんで見える。そんな中、ぼくらは相変わらずコートを駆け回った。音を上げる者などいなかった。若かった。
こうして20年間、ぼくはテニスを続けた。

【NEC時代】
いや、振りかえれば、ぼくのテニス歴はもう少し長い気がする。学校に勤めるよりも前、NEC時代にすでにテニスを始めていた。ラケットでボールを打つという、ただそれだけの行為をテニスと呼ぶのならの話ではあるが。
最初に始めたのは、妻とだった。結婚してほどなく、ぼくらの新居に近い東京農工大のグラウンドでボールを打ち合った。
今思うと実に奇妙なテニスだった。ラケットは、一本がスポーツ店で買った軟式ラケット、もう一本は古道具屋の店先につるされていた、ほとんど使い物にならない硬式ラケット。それと、毛をむしり取られた鶏のような、すり切れた硬式ボール。グラウンドの隅に落ちていたものだ。
ぼくも妻も、世の中に硬式テニスと軟式テニスという、まったくかけ離れた2種類のテニスがあることを知らなかった。ラケットの違いにも、ボールの違いにも、ぼくらは気づいていなかった。ましてや、コートという狭い空間の中で打ち合うが故の、テニスの難しさや楽しさなど、知るはずもなかった。
ぼくらはひたすら、広いグラウンドを駆け回った。まるで野球のホームラン合戦のように、力の限り遠くに飛ばし、それをまた力の限り遠くに打ち返した。
ツーバウンドすると負けなどという息苦しいルールは、ぼくらにはなかった。ただただボールを打ち続け、追いかけ続けた。夢中になって遊んだ。
夕暮れ時が近づいたグラウンドには、子供が数人遊んでいるほかに、人影はなかった。ぼくらは宵闇にボールが吸い取られてしまうまで、グラウンドを走り続けた。関東ローム層の真っ黒い土の上を。
あのころ、妻もぼくも若かった。二人でいられる喜びを心ゆくまで楽しんだ。

ラケットでボールを打つ楽しさを知ると、ぼくは会社の昼休み、屋上で一人テニスを始めた。壁を相手にする一人テニスだ。これが結構はやっていた。そもそも、ぼくがテニスに興味を覚えたのは、同じチームの先輩の中に、ラケットを抱えて屋上に上がる人がいたからかもしれない。
屋上には一人テニスの愛好者が何人も集まっていた。一人テニスのできる壁はかぎられているので、遅く行くと場所がなくなっていることすらあった。
ぼくが勤めていたのは、NECの府中事業所というところ。今は知らないが、当時、NECのコンピュータ部門は府中事業所に集中していて、ぼくが配属された方式計画部は、8工場と呼ばれる巨大な建物の中にあった。
事務管理部門が入っている本館は別として、居並ぶ工場は、どれも高さは2階か3階。ぺっちゃりしている。だのに、平面的な広がりは航空母艦並みであった。屋上に上がると、サッカーコートがすっぽり収まるほどに広々している。昼休みになると、屋上は人であふれかえり、バレーボールの輪がいくつもでき、キャッチボールをする者や、ぼくらのようにコンクリート壁を相手に一人テニスに興じる者もいた。
ぼくはろくにテニスのルールも知らず、コートに立ったこともなく、ただラケットでボールを打つのが楽しくて、毎日壁に向かっていた。
そのうち、同期の友人に誘われ、ジョギングの味を覚えた。屋上での一人テニスをやめて、一周約2キロの会社の周囲を走ることにした。昼休みになるとジョギングウエアに着替え、その友人とひたすら走った。ジョギングを始めてみると、そこにもまた同好の士は多く、会社を一周する道路はまるで市民マラソンのようなごった返しようだった。
遠泳は大勢で泳ぐと、水の流れに乗って楽だと聞く。ジョギングもまたしかりだ。まるで前の人に引っ張られるように、肥満気味になりかかっていた初日から、早くも2キロを完走できた。

考えてみると、テニス、ジョギングともに、NEC時代に味を覚え、会社を辞して学校に勤めてからも、長くぼくの趣味であり続けたことになる。その出発点であった府中時代が、今、ことさら懐かしい。泣きたいまでに懐かしい、若かりしあの頃。

【農事試験場】
さてそのテニスだが、ぼくにはもっと古い思い出がある。テニスの思い出というより、テニスコートの思い出というべきか。ぼくがテニスというものをイメージするとき、いつでも浮かぶ原風景がそれである。
小学生時代、ということは50年以上も前のことだ。松山市の旧市街北東部、今ではすっかり住宅地になってしまったが、当時は田畑が広がっていたあたりに、愛媛県の農事試験場があった。そしてその北西の一角にテニスコートがあった。たった一面だけのテニスコート。
当時、テニスを楽しむ職員は少なかったと見え、そこでテニスをしている光景を見かけた覚えがほとんどない。コートにネットが張られているのを見た記憶すらほとんどない。ほとんど、という意味は、皆無ではないということなのだが、……。
そこはもっぱらぼくたち子供の遊び場であった。中央にポールが2本突き出しているのをぼくらは邪魔に感じたことはなく、三角ベースの一塁と二塁にちょうど具合がよかった。周囲にたっぷりのスペースをとったコートだったから、小学生が三角ベースを楽しむには十分な広さがあった。
テニスコートの西側は高さが1メートルほどの杉垣で、ぼくらはその破れ目を専用の出入り口としていた。北側には小川が流れていて、簡単な木の防御柵があった。
南側も杉垣で、それに接して一段高くなったところに独身寮があった。ぼくらが遊んでいると、杉垣越しに窓から呼びかけ、キャラメルやチョコレートをくれる人がいた。窓からはまた、ギターの音が聞こえてくることもよくあった。部屋に上がり込んで、間近にギターを聞かせてもらったこともある。独身寮の青年たちは、すっかりぼくらの顔なじみになっていた。
東側には4,50センチの土盛りがあり、その上は、農事試験場の中ではメインストリートと言える、幅1,2メートルの土の道だった。道をはさんだ向こう側は白壁の建物で、その屋根に当たるか、屋根を越せば、ホームランというのが、ぼくらの三角ベースのルールだった。
白壁の建物は、反対側に回ればわかるが、馬小屋であった。薄暗くてひっそりしたその中で、数頭の馬がまぐさを食んでいた。

農事試験場の大部分は今では、県民文化会館(ひめぎんホール)に生まれ変わり、当時の面影はどこにもない。しかし、あのテニスコートの敷地だけは、今も健在だ。広場の北東すみに海外交流センターが建ち、残りの部分は駐車場になっていはしても、ぼくの目には、明らかにそこはテニスコートである。昔遊んだ、あのテニスコートである。区画は当時のままだし、東側の土盛りもそのままである。馬小屋があったあたりは、県民文化会館のサブ駐車場だ。

先日、前を通ると、県民文化会館で県の特産市が催されていた。娘夫婦や孫も一緒に、何か掘り出し物でもないかと、覗いてみて、ついつい両手に抱えきれないほどの買い物をしてしまった。
あのテニスコート跡も会場の一部になっていた。海外からの留学生がそれぞれのお国自慢の特産品や料理を出していて、ぼくはアラブのコーヒーを飲み、中国の水餃子を食べた。そして、三角ベースを楽しんだ昔のぼくと一人しみじみ対面し、語り合ったのであった。
「ここが昔じいちゃんの遊び場所だったんだよ」
3歳の孫はただきょとんとするばかりであった。

(2010/11/30)

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