道後・農事試験場(3)~農業講習所、講堂の思い出~

(写真1)

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(図1)

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【講堂および農業講習所のこと】

写真1における黒っぽい二階建ての建物が講堂である。図1を見るとわかるが、事務棟と化学実験棟にはさまれた通路(入口に門はなく、土手が切り取られているだけ)を行くと、正面にズドンと構えているのが講堂である。

ただし、講堂と言えるのは二階の話で、一階はおそらく研究室や農業講習所の教室であった。

子供のころは二階の講堂にしか目がいかなかったから、ぼくはそれを「講堂」と認識してきたのだが、一階について上のように思い当たったのは、実は、これを書いている今である。

『七十周年史』巻末に、農業講習所卒業生の思い出話が載っており、それによってぼくは、講習所は実習だけでなく、教室での日常的な授業も行われていたことを知ったのである(1年目は授業中心、2年目は実習中心)。講習所にはけっこう倍率の高い入試があり、高卒程度の学力を要す、とあるから、まあ「農業短大」とも言える存在だったと想像できる。

そもそも講習所というものが試験場に付属して存在していたこと自体、ぼくは『七十周年史』を読むまで知らなかった。

「通学できない講習生のためには寮があった」と書かれているから、あの独身寮がそれだったと、今になって思うのである。

同様に、「教室での授業」とある以上、教室がなければならない。その可能性は講堂の一階しか考えられないのである。

講習所の教授にしても、農事試験場の研究員が非常勤講師を務めてはいたが、専任教授もいたようだ。それなら、教授用の研究室も講堂にあったはず。それが自然である。

このように考えていると、独身寮や講堂、さらにはテニスコートを含む、農事試験場の南西の一角(図1参照)は、農事試験場というよりも、農業講習所の専用地であったのではなかろうかと思えてくる。これまでぼくは、あの一角をそのような目でとらえたことはなかった。もしそれが正しいとすれば、全体の構造がストンと腑に落ちるのである。

化学実験棟というのもぼくが勝手につけた名前である。実際そこで、試験管、ビーカー、フラスコなどを用いた化学実験が行われているのを、ぼくらは常々窓から好奇の目で眺めていた。試験場のというよりは、講習所の学生実験室だったと考えられる。

その化学実験棟には、奇妙なことに、妻や子供のいる職員が住んでいた。住まいはおそらく二階だった。今思うに、化学実験棟の二階は、講習所の教職員のための官舎になっていたのではなかろうか。一階が講習所の実験室であった。こう考えることによって、当時の記憶がすべて一点に収斂されてくるのを覚える。

図1で「小区画された実験田」と書いたところは、コンクリートの仕切りで細かく区画された田地だった。一区画は、一辺がせいぜい一間(1.8m)程度の正方形である。ひょっとしてそれは、学生たち(多いときで60名程度)一人一人に割り当てられた実習用の田畑だったのかもしれない。

農業講習所という、農事試験場に付属してはいるが、半ば独立した機関の実体が、このように考えることによって、浮かび上がってくる気がする。そこはどうやら一種の学校だったのだ。

学校だったからこそ、その一角だけのために、南から入る大きな入口(門構えこそないものの)があったのだ。合点がいく。

子供のころから半世紀あまりの間、ぼくはその一角を上のようにとらえたことは一度もなかった。農事試験場の一部という、漠然としたイメージしか持ったことがなかった。それでいて、図1からわかるとおり、農事試験場にはちゃんとした正門と本館が別に存在しているのである。本館の北側にはたくさんの研究棟もある。なぜその西に別の施設群があるのか。いつも不思議でならなかった。

今、すべてがストンと腑に落ちた。心の底から得心した。図1の配置図を描いた先日の時点では、まだこのような発想を持ってはいなかった。ぼくの頭の中では、あの図の全体が、トータルに農事試験場であった。すでに『七十周年史』に目を通していたにもかかわらずである。

書くことによって考えがまとまったり、認識を新たにすることがある。昔からよく言われることだ。いまぼくは、実地にそれを体験した。


【講堂の思い出】

さて、話を講堂に戻す。

講堂の一階はかなりの高床式で、入口の扉に向けて地面から5,6段の石段がついていた。正面(南側)から石段を上がると、靴のまま歩くためにざらざらになった木の廊下があり、そのまま真っ直ぐ北側の裏入口へと、トンネル構造で続いていた。裏側の石段を下りると、目の前は独身寮である。

もちろん東西に延びる廊下もあったが、ぼくら子供は、そこまでは立ち入らないよう自制していた。トンネル構造の通路が、もっぱらぼくらの遊び場であった。入口と出口に石段があり、トンネルになっており、内部は昼間でも薄暗く、その上、床はざらざらと毛羽立っている。ぼくらはその薄気味悪さを楽しんでいたのである。

講堂には、思い出すと、今でも切なくて胸苦しくなるような、甘酸っぱい思い出がある。


5年生になった春、近所に魚屋が引っ越してきた。A子ちゃんという女の子が一緒だった。ひとつ年上だった。普段は女の子と遊んだりしないから、色白でほっそりした可愛い顔立ちの子だなと気づきはしても、特に注意を払うことはなかった。ときたま見かける程度の遠い存在のまま、夏休みになった。

ある日、家の前でいつものように友達と遊んでいると、浴衣姿のA子ちゃんが近づいてきた。

「明日の晩、日本舞踊の会があるから来て」

ぼくに向かって告げた。いつもは色白な頬が、湯上がりのようにほんのり赤らんでいた。くっつかんばかりに身を寄せてささやくA子ちゃんに、なぜだかぼくの心臓は激しく脈打ち始めた。

「7時から、農事試験場の二階の講堂じゃけんね。見に来てね」

ぼくは返事をすることも忘れて、呆然と立っていた。ほのかに甘い香りが漂ってきた。気のせいかもしれないけれど。

翌晩、ぼくは仲間たちと講堂に出かけた。A子ちゃんはぼくに身を寄せながら、ぼくに向かってささやいたはずなのに、一緒にいたみんなも当然のように、「行こう、行こう」と集まってきた。

いつものように石段を上がり、いつものようにトンネルに入る。違うのは煌々と電球が灯っていること、床を踏むコツコツという音や賑やかな声がこだましてくること。

トンネルが向こうに抜ける手前で、ぼくたちは初めて階段に足をかけた。そこから先は未知の世界だった。途中でくの字に折れた階段を上り詰めると、喧噪はさらに激しくなり、廊下を数歩歩いた先に広々とした空間があった。椅子が並べられ、奥に舞台が見えた。

始まるにはまだ間があるらしく、照明や音響のテストがくり返され、床を縦横に這う配線をチェックしている人もいた。

明るく華やいだハレの雰囲気がぼくらを興奮させた。床を這う配線に気をつけながら、講堂をくまなく探検して回った。中でも、舞台の袖におかれた音響や照明の大きな器具がぼくの興味を引いた。

やがて席が埋まり、舞台が鮮やかに照らし出され、日本舞踊の発表会が始まった。始まる前の賑々しさに酔っていたぼくには、踊りはちっとも面白くなかった。ただA子ちゃんの出番を見逃すまいと、それだけに心を集めていた。

しかし、濃い白粉を塗った顔は、どれもみな同じに見え、最後までぼくは、A子ちゃんの舞い姿をしかと確かめることはできなかった。たぶんあの子だと思われる子はいた。たぶん間違いないとは思った。妖艶に舞っていた。

それだけで満足した。A子ちゃんのあでやかな姿をきっとぼくは凝視したはず。その思いだけで、ぼくの心臓は高鳴った。

すべてが終わり、寄せた波が引くように、ぞろぞろと人の波が講堂から流れ出た。ぼくらも、さめやらぬ興奮を確かめあいながら家路についた。ぼくにはちょっぴり物足りなさが残っていた。A子ちゃんの舞いをもっとはっきり目に焼きつけたかったのに、と。

三角地帯の家並みが鋭く尖ったあたりまで戻ってきたとき、後ろからカッカッカッカッと跳ねるような下駄の音が響き、振りかえったのとA子ちゃんがぼくのそばにすっと体を寄せるのとが同時だった。

「どうだった。よかった?」

ぼくは「うん」と小さく答えるのがやっとだった。耳たぶが赤くなり、心臓はいまにも飛び出しそうだった。

その後ぼくは、何度かA子ちゃんから声をかけられ、その都度、女の子たちのグループと遊ぶようになった。これまでは、遠くで遊んでいるのを見かけても、注意を払うことすらなかったのに、……。

といっても、二度か三度のことだ。はっきり目に浮かぶのは、ゴム縄跳び。女の子たちは、スカートをブルーマーのように丸めて跳んだ。パンツの下にスカートの端っこを押し込んでいたのだろう。A子ちゃんだけはそれをせず、跳ぶ直前にスカートの裾を左手で絞り、そのまま腿のあたりに押し当てたまま、右手だけでバランスをとって跳んだ。

それでいて、ひらりと、高く、蝶のように跳んだ。ぼくは夕日を背に、A子ちゃんが鮮やかなシルエットを描く様を、くっきりと脳裏におさめた。

夏休みも終わろうとするころ、

「Kちゃんとはもう遊べんようになったんよ。あした引っ越すけんね」

いつものように体をすっとそばに寄せてきて、そう言うと、「さよなら」と、聞き取れないほどの声を残して、A子ちゃんは家の中に走り込んでいった。

ぼくは唖然とした。とっさには意味がつかめなかった。でも、それがA子ちゃんの姿を見た最後となった。

A子ちゃんの姿が町から消えてしまったとき、ぼくは初めて切なさというものを知った。涙がとめどなく流れ落ちた。

ただ人と会えなくなることが切ないわけではない。あの姿、あのやさしさ、あのほほえみ、あの瞳、あのやわらかな肌と頬の赤らみ、あのぬくもりと人なつこさ、触れんばかりに間近に寄せてささやく口もと、そのすべてを懐旧とともに想うとき、人は切なく、堪えがたくなるのだ。






(2010/12/14)




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この記事へのコメント

Josephcide
2014年07月23日 15:42
anyhow just think that little extra fabric have got to really be cutting within bottom lines so all of them tend to stay smaller (14 or 32) (excess fat or whatever really has nothing to do with any of this that's that Jeffries CEO. http://www.margaret-river-wa.com/ その中に黒、しかし、柔らかさと、

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