社会が燃えていた時代・使命感の時代

 先日、ぼくが所属する松山教会で、東雲学園創立125周年を記念した礼拝があった。学園の創立は1886年(明治19年)である。
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 考えてみれば、それは日本にプロテスタント系ミッション女学校が次々に設立された時期と機を一にしている。そのほとんどがアメリカ人女性宣教師による設立であった。
 当時、日本になぜ爆発的にミッション女学校ができたのか。その背景は、素人のぼくにもある程度理解できる。
 主要な要因はアメリカの国内事情だ。19世紀半ばまでは、アメリカのフロンティアは西部にあり、国力は「西へ、西へ」に費やされていた。キリスト教の伝道も、それにともない西へ、西へと向かった。ローラ・インガルスの『大草原の小さな家』シリーズを読めば、その一端をかいま見ることができる。
 一方また、南北戦争という大事件もあった。国が外に目を向ける時代ではなかった。
 19世紀後半に入ると、アメリカ国内からフロンティアが消滅してしまい、人々の目が国外に向かい始めた。キリスト教伝道も同様である。プロテスタントのさまざまな宗派が海外伝道局を設けるようになった。
 これによって、一般の職業に就くことを「女性らしくない」として事実上禁じられていた女性の「許される職業」が、教師のほかに宣教師にも広がることとなった。ローラ・インガルスは田舎教師になったが、宣教師にはそうたやすく誰でもが飛びつけるわけではなかっただろう。しかし、燃えるような信仰心とフロンティア精神と強い決意をもった女性は多くいたのである。

 彼女らは所属宗派の伝道局や母教会から、資金面でも精神面でも十分な援助を約束されていた。だがそのためには、常に伝道局や母教会と緊密な連絡をとり、現地の状況を知らせ、支援を仰ぎ続けなければならなかった。その手紙書きが、彼女らの仕事の中でけっこう大きな比率を占めていたともいう。

 といっても、女性は正式の牧師になれるわけではなかった(今はそんなことはないが)。宣教師の道を選んだとしても、彼女らにできるのは、教育・文化活動を通しての宣教だけであった。
 というわけで、19世紀後半、日本に若い女性宣教師が次々にやってきて、宣教の手段として女学校を設立したのであった。一種のブームともいえる状況となり、1870年代、80年代の20年ほどの間に30数校ものミッション女学校ができた。

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 こうした事情は、最近読んだ『ミス・ダイアモンドとセーラー服』(福岡女学院の例)や『アメリカ女性宣教師の来日とその生活』(金城学院の例)などで知った。

 東雲学園(松山女学校)の場合は、事情が少し違うようである。設立当初には宣教師は直接かかわっていない。設立は、前年の1885年にできたばかりの松山教会が自ら行った。だから、初代校長は松山教会の初代牧師である二宮邦次郎がかねた。
 アメリカン・ボードと呼ばれたアメリカの伝道局が経済面で援助を始め、宣教師ジャジソン女史が第2代校長になるのは1906年のことである。創設からすでに20年経っている。

 といっても、松山教会自体がそもそもアメリカン・ボード(組合派の教会)の影響下で1885年に創立されたわけだから、それを思えば、東雲学園はアメリカン・ボードによる設立だと言っても、まんざら間違っているわけではない。だがやはり、創設は日本人の資金と手によるものであった。

 東雲学園からやや遅れて1891年に松山教会の支援でできた松山夜学校(現在の松山城南高校)には、設立当初から宣教師ジャジソン女史がかかわっていた。

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 ともあれ、当時はアメリカも日本も、社会が燃えていた時期だったのだと思う。「使命感」という言葉が、ごく自然に若者を包み込んでいた時代ではなかったか。
 やがて日本は、日清・日露戦争を通じて帝国主義、軍国主義の時代に向かっていく。若者の使命感も、それに合わせて軍国調へと引きずられていく(大正ロマンの一時期をはさみはするが)。

 今の若者に「使命感」はあるのだろうか。自分の喜びや楽しみ、仲間うちの喜びや楽しみという閉鎖的な枠を越えて、ある意味では自分を犠牲にしてでも、価値ある何ものかに向けて自分をささげる。これが使命感だろう。今の若者にはたして使命感はあるのだろうか。悲しむべきことに、今の日本の大方の流れの中には、この「価値ある何ものか」を見いだすのはなかなか困難なのではないかという気がする。

 ファシズムの時代には、たしかにそれがあった。多くの若者がそのために命をささげた。しかし、それは外から与えられた価値、強制された価値であって、内から燃え上がる価値ではなかった。だからそれは本当の使命感に結びついていたわけではない。

 いつの時代でも、若者は意識の奥底に、使命感を燃やすべき「価値」ある対象を切望する気持があるのだと思う。憲法改定を前面に押し出した安倍内閣の頃、「目的もなく、仕事もない時代だから、憲法9条を変えて戦争に行けるようになれば、それは大いにエネルギーが発散できて、すばらしいことだ!」と、こんな信じられないような意見が、街頭インタビューで飛び出していたのを思い出す。
 戦争などという、文明と人道に逆行する方向ではなく、平和的で建設的な方向に若者がエネルギーを注ぎこめる「価値ある何ものか」は、今の時代、本当にないのだろうか。


(2011.9.26)

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