今年六十のおじいさん

 昨日,同期の友人の葬式に参列した。

 64歳,若すぎる。まだまだ人生の後半戦が始まったばかりではないか。

 ぼくはと言えば,第二の人生のスタート地点に立った喜びとわくわく感をかみしめている最中なのに。

 早すぎるよ,あまりにも。


 彼は小学生時代からのなじみの友だった。ぼくの兄と彼の兄も同期で,ぼくらとは七つ違う。

 兄同士も親友だった。

 兄が生まれて一年もたたないうちに太平洋戦争となり,彼の父もぼくの父も戦争に召集された。

 そして,長い戦争と捕虜期間を経て,二人とも生き残って帰還した。

 そして生まれたのが,彼であり,ぼくである。だから,彼とぼくとは,兄とは七つ違う同期なのだ。


 彼は外向的で活発で,いつでもどこでも自然に人の注目を浴びるタイプだった。人を笑わせ,楽しませ,それを通して自分も楽しんでいた。

 もうずいぶん長く同期会の世話役を引き受けていた。

 ぼくとは真反対の性格である。

 しかし,ぼくらは仲よくしていた。


 近頃は年に一度の同期会で顔を合わせるだけになっていた。会うたびにやせ細っていくのが気になっていた。

 最後に会ったのは去年の秋だった。あいかわらず陽気で活発だったが,どこかに病的なやせが感じられた。

 すでに病状は進んでいたのだろう。

 死の5日前に病院に入り,手の打ちようがなくて,あっけなく天国に旅立ったという。ガンだった。


 彼にかぎらず,最近,同年配の人の死に出くわすことが増えてきた。

 64歳とは,もうそんな歳なのか。ぼくも,いつぽっくり逝っても不思議ではない歳になったのか。

 ふと思ってしまう。


 昔,小学館の「小学三年生」か「小学四年生」かに載っていた次の歌を思い出す。


 村の渡しの船頭さんは

 今年六十のおじいさん

 年をとってもお船をこぐときは

 元気いっぱい艪がしなる

 それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ


 本の挿絵を見ながら,母が歌ってくれるのを聞き,以来もう決して忘れることのない歌になった。

 「今年六十のおじいさん」を,当時はたいそうな老人だと想像していた。腰が曲がって,よぼよぼして,目もかすみ,…。

 だが,いざ自分がその年になってみると,なんてことはない。

 単なる子どもの延長ではないか。考えることは幼い。

 孔子が,三十にして立つ,四十にして惑わず,五十にして天命を知る,六十にして耳順う,などと言ったが,凡人にはとてもそんな気配はない。その歳を迎えてみてぼくはつくづくとそれを知った。

 いつまでたっても,目の前は新鮮でわからないことばかりだし,惑い続けるし,天命を知ることもなくむなしい夢を見る。

 それでいいのかと,逆に悟っているこのごろである。


 それにしても人の命ははかないものだ。

 あの元気だった彼が逝ってしまった。

 船頭さんの歌を歌いながら,母が言った。

「母ちゃんのお母さんね,清志ちゃんのおばあさんだけどね,いま生きていたらちょうど六十になるのかねえ」

 当時はまったくぴんと来ない話だったが、母の母親,つまり私の祖母は、母が女学校三年のとき,三十六歳の若さで突然の病に倒れて死んでしまったのだった。

 それまで何不自由なく勉強させてもらい,好きなだけ本を与えられてきた母は,幼い弟妹が大勢いる長女なるが故に,母親の死をきっかけに女学校を中退させられ,家事・育児に追い回される日々に突き落とされたのだった。

 夢が絶たれてしまったむなしさ,辛さ,悔しさを,母は生涯抱え続けて生きてきた。

 その母をかろうじて支えてくれたのはキリスト教だった。

 ぼくが大病をして生死の境をさまよっていた五十歳のとき,枕元で母が言った。

「私の人生はとても辛くってね,信仰がなかったらとても生きてはこられなかったと思う。信仰だけが支えだったの」

 母の信仰が命をかけたものであったことを、ぼくはそのとき初めて知った。


 人はいつ「はいここまで」と言われる日を迎えるのか,誰も知らない。

 普段の元気など,「はいここまで」には何の役にも立たない。

 元気な人ほどあっけないともいわれる。

 64歳にもなれば,使者がいつ扉をたたいても驚かないように,覚悟だけは常にしておかないといけないなと,しみじみ思ったのであった。


(2012.3.1)




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