二十歳のかけら

 まあ一応文芸書と分類できる本を、出版まであとひと月というところまでこぎ着けました。お読みいただけるとありがたいです。タイトルは
 『二十歳のかけら 京大生青春日記1966-1971』。
 少年期・青年期を60年代に重ね合わせて生きた若者の日記風物語です。
 展開されているのは、実に弱い一人の若者の挫折につぐ挫折の物語。恋で挫折し、思想で挫折し、学問で挫折し、……。
 強い成功者のイメージなど一片もなく、何度となく挫折の憂き目にあっては、心の萎える限界まで自分を追い込み、見つめ、分析し、その末に何とか立ち直る。その繰り返しが、彼の人生であり、日記はその生き証人でした。
 しかしながら、繰り返し挫折する裏側には、当然ながら、繰り返し夢をもち、希望を抱いた現実もあったはずです。寄せては返す波のように、希望と挫折との間で絶えずゆらめく反転、それがストーリーの骨格をなしています。読んで楽しめるところでもあります。
 しかもそれらが、恋、思想、学問の複雑な三層構造をなして展開していきます。波瀾万丈、疾風怒濤の荒波の中を、彼は力尽きつつただよい行く宿命を負っているのです。

 ストーリーを貫くメインの調べは、落伍者の悲哀です。自らを強者であり成功者であると自認する生来の楽天家を除けば、たいていの人が一度は味わう落伍者の悲哀。それが彼の場合は常態となり、長く尾を引く永続性の色調すら帯びていきました。

 物語を底流しているもう一つの骨格は、60年代の高揚した時代性です。ベトナム戦争が世界を狂おしく二分し、反戦運動が文化と言えるまでに世界を席巻し、日本では学生運動が燎原の火のように燃え広がった時代、それが60年代でした。
 『二十歳のかけら』は、そうした時代性の中で、自他ともに弱者であると認める若者すらもが、まるで何かに取り憑かれたように必死にたたかい、高揚と挫折と苦悩を味わい続けた日々をつづっています。

 ご推察の通り、主人公の若者は私です。今となっては当事者意識からも解き放たれ、対岸で手を振る第三者のごとく客体視できるようになっている、かつての私です。
 登場人物の特定につながらないよう、フィクションのヴェールを随所にかぶせてはいますが、そこに生きる若者たちの心は、当時の真実そのままです。まるでテープレコーダーのように、彼らの言動を克明に記した何十冊もの日記が保存されていたため、それが可能になりました。
 日記の文章のつたなさをあえてそのまま手直ししなかったことによって、かえって若者らしい繊細な感受性がリアルに伝わってくるような気もしています。少々手前味噌ですが。

 作品化したのは、膨大な日記からのほんの一部の抜粋です。しかもそれに虚構のぼかしをかけました。原文とは似ても似つかぬものになったようでもあるのですが、その分、主題は濃縮された気もしています。

 自己宣伝になりますが、お読みいただけると幸いです。たぶん発売は6月だと思います。

(2012.5.6)

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