満足は自分が決める

 ずいぶん長く更新していなかったが、いろいろなことがあった。
 個人的なこと、対人的なこと、自分を見つめ直すこと、過去をふり返ること。
 あまりに多くのことが一気に身の回りを流れていったものだから、ここに書き尽くすこともできないし、その気にもなれない。
 しかしまた、ぽつりぽつりと今の自分の心境や生活を語る生活に戻りたいと思う。60数年を生きたが故にわかる自分自身・世のありかた・人間存在の意味、存在一般、などを語り続けていきたいと思う。

 一週間ばかり前、三日間にわたりぼくは絵画漬けになっていた。絵を描き続けたのだ。愛媛県美術館が主宰する夏期洋画講習会というのに初めて参加した。
 朝10時から夕方4時半まで、50分間の昼休みを除く時間以外は、絵を描き続けた。ぼくが参加したのは着衣クラス。他に、ヌードと静物クラスがあった。
 油絵の人と水彩の人が交じり合っての会だった。ぼくは、うんと昔、二十歳代の後半から三十代の前半にかけて、油絵を習っていた。だが今は水彩だ。水彩の楽しみにのめり込んでいる。二年前に始めた。
 二枚描いた。20号ほどの大きさ。わが人生において、あれだけ集中して絵を描くことに埋没したのは、今回が初めてという気がする。
 出来映えはもちろん素人そのものだが、今ある力を出し切ったという意味で、最高に充実した満足が得られた。
 ちょうど今オリンピック期間。オリンピック選手と自分を比較するのはあまりにおこがましいことだが、彼らの満足に似た満足を味わえた気がする。人の満足は結果で決まるのではないことがよくわかる。力を出し切ることが、もう最高度の満足なのだ。
 もちろん、金を狙わねばならない宿命の人もいる。銀になっただけで、悔しさと申し訳なさに顔も上げられない人がいる。それはそれでいい。その世界の人たちなのだから。
 だけど、オリンピック選手の大半は、そうした世界に生きてはいない。9割くらいの人は、脚光を浴びることなく、ただオリンピックに参加できたこと、そこで力を出し切れたことに、最高度の満足を得ている。その満足を生涯の宝として生きていこうとしている。
 それに似た満足が、わずか三日間とはいえ、絵の世界に埋没することでぼくにも得られた気がした。

(2012.8.7)

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