時を越えて

 父が生きていたらちょうど今百歳なんだと感慨にひたりながら、数日前、父と母の墓を詣でた。
 父は明治45年(1912年)4月12日の生まれ。明治の人だ本人も言い、ぼくも信じてきた。だが、思えば父の明治は3ヶ月半にすぎない。
 父は北予中学時代をよく懐かしんでいた。今の松山北高である。
 父の在学期間は、秋山好古の校長時代にほぼ重なる。好古の任期二年目に父は入学し、好古の校長退任と同時に父は卒業した。
 秋山校長のことは、父から子ども時代に何度か聞かされた。だが、元は有名な軍人だったということくらいしか記憶に残っていない。聞きながら、想像を絶するほど遠い、真っ暗な海の底か霧の奥のような話だと感じた、その感覚の方が、ぼくには鮮明でリアルだ。
 父の世代ほど高校野球に熱中した世代はないと思われる。夏の県大会の時期が来ると、父はよく、ぼくを自転車に乗せて松山球場に通った。平和通り側から球場に近づくと、球場の外壁が見えはじめるあたりから人が満ち始め、場外でラムネやかち割りを売る屋台が興奮をあおっている。中に入れば、観客席はぎっしり満員。通路にも人があふれ、お堀の土手を利用した一塁側の観客席は、背後の松の木にまで人が鈴なりだった。文字通り、熱気が球場を包みこんでいた。
 父は強豪という意味では松山商業のファンであったが、同時に、母校である松山北を熱心に応援していた。自転車にぼくを乗せて、松山北の練習グラウンドに足を運ぶこともしばしばだった。
 ぼくが野球の練習の壮絶な迫力と華麗さを初めて目の当たりにしたのは、父に連れられて北高のグラウンドに行った小学2,3年生のころだった。当時は、なぜ父がいつもこの学校に出かけるのか不思議でならなかったが、後に父の母校であることを知った。
 父が北予中学の生徒だったころには、堀之内に松山球場はなく(その当時、堀之内は歩兵二十二連隊の兵営だった)、中等野球大会の県予選は道後で行われていた。今の姫塚テニスコートである。伊佐爾波神社の山の斜面が観客席だった。
 ぼくが自転車に乗れるようになった4年生のころ、夕方になると父に連れられ、道後公園や、今はホテル街になっているあたりの坂道をよくサイクリングした。あるとき、自転車を止めて、伊佐爾波神社の石段を登り、頂上から下を見下ろすと、眼下に広場が見えた。
 そのとき父が言った。
「この広場はのう、昔、野球場じゃったんぞ。今は想像もつかんけど、この崖の下に観覧席があってな。父ちゃんは昔、ようここに野球の応援に来たもんじゃ」
 秋山校長も生徒と一緒に応援に来たのであろうか。
 だが、そう言われても、ぼくの目には雑草がはびこるただの広場。さして広くも見えない。「つわものどもが夢の跡」を見るような不思議な気がしたのを覚えている。
 そのころはまだテニスコートにもなっていず、荒れ放題の広場だった。
 堀之内に松山球場ができたのは、1948年だという。ぼくが生まれた年だ。その松山球場も今はなく、野球場は郊外に移って坊っちゃんスタジアムとなった。松山球場や陸上競技場があった堀之内は今、広大な緑の公園になっている。
 そう言えば、堀之内から松山球場が消えたのは2003年。父が死んだ年である。
 歳月はかくも無情に、はかなく流れていくものなのだ。

 父が死んで半年もせぬうちに母も死んだ。二人の墓は松山の南、八坂寺にある。死ぬ20年も前から二人が買って用意していた墓だ。
 高台にあって、眼下に松山平野が見渡せる。

 それで先日の話に戻ろう。九州の西を通過した台風の影響で風が吹き、汚れた大気を吹き流してくれたらしい。炎天の昼下がりにもかかわらず、空気はすばらしく澄んでさわやかだった。遠くまでよく見通せた。
 妻と二人、墓地から松山平野をぼんやり眺めていて、父と母がこの地を墓所にしようと決めた理由がわかった気がした。もちろん以前から気づいていたことではあるが、その日くらいはっきりとそれを感じたことはなかった。
 父と母の思い出の地のことごとくが、墓の高台から眼下に見下ろせるのだ。
 父が生まれた太尺寺、母が生まれた牛渕。二人が結婚して最初に住んだ祇園町。その後住んだ、小坂町、東一万町、福音寺。山陰に隠れて見えないところもあるにはあるが、「ほら、あそこだ」と指で指せる位置にすべてがある。

 もちろん墓に二人はいない。あるのはただ亡骸としての骨だけだ。墓から今も毎日、二人がゆかりの地を眺めて暮らしているとは思わない。でもやはり、墓からすべてが見下ろせるのは嬉しい。
 二人がいるのはどこだろう。
 ぼくの心の中には、疑いようもなく二人の命が息づいている。ありありと今を生きるように彼らの姿が焼きついている。姿とともに彼らの心がしみついている。これはまがう事なき真実だ。
 でも、それだけだろうか。いや、そうではない気がする。
 きっと彼らは今もどこかにいる。時を越え、空間を越えて、きっと彼らはいる。
 どことはっきりとは言えない。空間も、時も越えた世界なのだから。
 百万光年の彼方に百万年前の世界が、まるで今のように見えるのと同じく、きっと死に絶えることなく続いている何かがある。
 ぼんやり松山平野を見下ろしながら、そんなことを思った。
 きっと二人に会える。どこかできっと、ぼくらはつながっている。そんな思いが、濃厚な予感とともに、ぼくの内部をよぎった。

(2012.8.9)

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