映画『あなたへ』に思う

 勤めていた頃は、映画館に映画を見に行くなんて、年に一度もないことだった。それが、退職すると不思議に映画好きになり、シニア1000円という魅力もあって、最低でも月に一度は見に行く。
 月に一度で映画好きとはおこがましいと言われるかもしれないが、ぼくにとってはけっこうな頻度だ。久しく忘れていた妻とのデート、ときめきのデートのような気分を味わっている。

 一昨日は、『あなたへ』という映画を見に行った。
 刑務所に勤める年老いた男と、その妻の話。妻はもともと刑務所に歌の慰問に来ていた童謡歌手だった。挿入歌の「星めぐりの歌」、なかなかいい。宮沢賢治の作詞作曲だそうだ。
 男は、その童謡歌手と熟年結婚。そして、子どものいない十数年を経て、妻はやがて死ぬ。その妻の遺言が、「私の生まれた長崎の海に散骨してほしい」というもの。男は手製のキャンピングカーで散骨の旅に出る。
 こんな話だ。

 昼間にもかかわらず、けっこう人が入っていた。いつもはぽつりぽつりと数名のことが多いのに。
 見回すと、みんなぼくらと同年配か、もっと上の老夫婦。中にぽつんと一人で座っている人もいる。ああこの人、悲しきWidowerだろうか。
 予告編が始まるまでの幕間の気抜けした静寂の中で、ぼくは思わず家内に「年寄りばかりだな。老人の品評会だな」とささやいてしまう。
 何と心ないささやきだったことだろう。しかも、当の自分が歴然たるその一員であることを忘れて。
 映画はぼくの心にしっかりと寄り添ってきた。
 そうなんだ、この映画、老年者の心に寄り添う映画なのだ。WidowerにもWidowにも寄り添ってくれる映画なのだ。
 だから若者は来ない。はじめから若者など相手にしていない。ぼくらの世代に的を絞っている。だから昼間でも客であふれるのだ。

 老後のこと、死後のこと、生きている間の夫婦の愛情のこと、人と人とのつながりのこと、いろいろ思わせられる映画だった。
 軽薄な泣かせ映画ではない。泣きはしないが、じーんと来る映画だ。久しぶりにいい映画を見た。
 このところ、見る映画の3本に2本はハズレだ。4本に3本と言ってもいい。アタリは滅多にない。『あなたへ』はアタリだった。

 それにしても、海への散骨をぼくは願わない。後に続く世代に気遣いさせなくてもいいように、ひっそりと痕跡をこの世から消し去り、ひとり海の底に眠りたい。散骨は、そういう思いからのようだった。
 それはそれでいい。所詮は同じことだ。
 海の底に眠ろうと、骨壺に納まって墓石の下に眠ろうと、いずれは痕跡はこの世から消え、すべては無となり、自然の元素に同化していく。元素になればもはや互いの区別もつかない。それが少々早いか遅いかだけの問題だ。

 しかし、命ある何十年かを生命体としての統合の中で過ごした以上、それが完膚無きまでに無に帰するとは、ぼくは思いたくない。
 その影のようなものが、その証しとして、この宇宙に揺曳し続ける。そうぼくは信じたい。
 ぼくは神秘主義者ではない。オカルト主義者ではない。たしかにキリスト教という信仰は持っている。しかし、教義に書かれているから天の国を信じる、そういう受け身の霊魂不滅主義者ではない。
 ぼくの体の奥底に、消えない影が生き続けることを信じさせる何かがあるのだ。

 それは散骨うんぬんの話にはつながらない。まあ、どちらでもいいのだ。何が正しく、何が間違っているという話ではさらさらない。そのときが来れば、ぼくだって散骨してほしいと遺言するかもしれない。
 ともかく大事なのは、生き残った人との心のつながりだ。ぷつっと切れてしまわないことだ。それが切れないかぎり、影は残るのだ。切れたようでも、実はつながっているのだ。それも大事なことだ。決して切れたりはしないのだ。だから影は残るのだ。

星めぐりの歌 (宮澤賢治)

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて


(2012.8.31)

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