震災後一年半の東北に

 わずか一泊二日の旅ではあったが、テレビやニュースで数え切れない間接体験をしてきた津波被害の実態を、初めてわが目で直接体験した。九死に一生を得た人の体験談も聞くことができた。震災後一年半が経過した東北に、その爪痕はいまだ生々しい。復興の道の遠いことを思い知らされた。

 旅の主目的は、次女が障害者である関係で、肢体不自由児者連合会の全国大会に出席することであった。これまで愛媛県内の大会では、この春国会で可決され、来年4月から施行される障害者総合支援法の主旨や内容が今ひとつはっきりつかめないでいた。県の障害福祉課の担当者の説明は、条文を逐一読み上げるに等しいもので、これでは何のことやらさっぱりわからなかった。
 今回の大会において、法案作成に直接たずさわってきた民主党・自民党の障害福祉担当議員、厚生労働省障害福祉課長、内閣府総合福祉部会の委員などから直接お話を伺うことができ、これまで手袋をして物に触るような印象だったこの法律が、ようやくリアルに具体的に見えてきた。この法律が総体として何を目指し、何をしようとしているのか、これまでの障害者自立支援法と何がどう変わったのか、今なお積み残されている問題にはどういうものがあるのか、こういったぼくらが最も知りたかったこと、にもかかわらず県の担当者からはちっとも要領を得た説明がなされなかったことが、今回よくのみ込め、すとんと腹の底に落ちた。
大きな収穫だった。

 これが旅の半分。残りは、仙台の北、登米市に住む友人を訪ねること。この友人、実は犬を通しての一種の親戚である。13年前、ぼくが飼っていた犬とぼくの両親が飼っていた犬とが交配し、子犬が5匹生まれた。この子犬たちが全国各地にもらわれていった。一匹はぼくの職場の同僚の教師にもらわれ、他は大阪、香川など、信じられないくらい全国に散っていった。
 そのうちの一匹が登米市に行ったのだった。ちょうど娘が麻布獣医大の学生だったときで、娘の研究室の先生と登米のその人とが知り合いであった。紹介してもらって電話で話をするうち気が合い、犬を送ることにした。当時は松山から仙台まで直通の飛行機があったから、それに乗せて犬を養子に出した。
 以来、電話や手紙、季節季節の特産品の送り合いなどで長いつきあいとなり、一度は犬も一緒に登米からわが家に遊びに来てくれたこともあった。
 こちらからはなかなか行く機会がなく、今回が初めての訪問となったのだが、登米のその犬は今年の春すでに死んでしまっていた。もちろん犬の両親もすでに死んでおり、ぼくの両親もすでにいない。あの頃が遠い過去のことになってしまった。
 しかし、ぼくら夫婦と向こうの夫婦は元気だし、犬がもらわれていったとき中学生だった向こうの家の長女はすでに結婚して二人の男の子のお母さんになっている。その長女ともお会いすることができた。犬をかわいがって、よく散歩に連れて行ってくれていた子だ。おばあさんともお会いできた。いつも犬はここに座っていたんですよ、というお気に入りの座敷の一角をも見せていただいた。
 山の奥にある犬のお墓(共同墓地)にも行った。伊達家ゆかりの古いお寺のようで、その山の斜面に犬猫の共同墓地がある。線香を立て、手を合わせた。
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 登米は今は小さな町だが、かつては城下町として賑わったという。歴史を感じさせる町並みが残っている。登米尋常小学校の情趣豊かな大きな建物がそのまま保存され、博物館になっている。ちょうど愛媛県の卯之町(現西予市)を思わせるたたずまいだった。
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 帰り、車で仙台空港まで送ってもらう途中、石巻の海のそばを通り、津波被害の光景を目にした。
 一緒に車で空港まで見送りに来て下さった娘さんは当時、陸前高田で働いていて、3月11日のその時刻にはたまたま高台の建物にいたから大丈夫だったけど、同僚が亡くなったという話だった。津波の発生があと数分ずれていたら、自分もその同僚と同じ運命にあったかもしれないと言っていた。
 元々しっかりした明るい人柄だったのだろうが、その体験を経て、人生観がさらに広く、豊かに、かつ強固になっているのを感じた。
 海岸から数キロのところを一直線に伸びる高速道路を走っていると、一目で右と左の光景の違いがわかる。右(海と反対側)には、たわわに実った田んぼが広がる。伊達藩を支えたのどかな穀倉地帯だ。見なれた松山平野の田園地帯とは平野の広がりの規模が違う。しかし、左(海側)は一面荒れ地である。視界のかぎり緑だから、最初はこれも田んぼかと思っていたのだが、よく見ると明らかに違う。雑草だ。塩害がひどく、去年に続き今年も田植えはできなかったという。半分水に浸かったままの、土むき出しの田もある。
 そんな光景が延々10キロも20キロも続く。この高速道路が津波を最終的食い止める防波堤の役目を果たしたというわけだ。天国と地獄の分け目ともなった。海側の農家の人たちはどんなにつらい思いをしていることだろう。
 ぼくの知り合いで、今年の2月、東北にボランティア活動に出かけた人がいる。仙台市から見て東北に当たる海岸で、土砂に呑まれた農家の納屋の片づけ作業にたずさわったと聞いた。ちょうどぼくが高速道路から見たあの一帯のどこかだったのだろうかと、ふとその人から聞いた話を思い起こした。
 がれきの山もまだところどころ残っている。一見生活は元に戻っているようでも、復興の道は遠いというのが実感であった。

 昨日はNHKテレビで、何兆円もの復興予算が事実上日本再生予算化して、東北の復興とは関わりのない事業にも使われていると聞いた。その反面、本当に復興に向けてあえいでいる現場にはなかなかその予算が回らない実情もある。この矛盾が、あの放置されたままの荒れ地に象徴されているように思われた。数年前、イギリスで見たヒースの荒野とそっくりだった。

(2012.9.10)

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