自由になって

 退職し、自由を得てはや二年半。夢にまで見たこの自由。
 水彩画を始めたのは大きな収穫だった。描いているととにかく楽しい。時を忘れる。自分を忘れる。すべてを忘れて、目の前の色彩空間に没入している。

 今こうして書いているように、文章を書くのも楽しい。好きな時間に、好きなように書けるのがうれしい。
 「……しなければ」という束縛感がない。これが自由というものだ。

 読むのも楽しい。今は "ENGLISH HISTORY FOR STUDENTS" という学生向けの英国史の概論を読んでいる。ケルト時代やローマ軍進駐時代に始まって、いまスチュアート王朝まできた。日本で言えば、江戸時代初期だ。残り3分の1になった。

 読んでいて思ったのは、王(日本で言えば天皇)に対するとらえ方がずいぶん違うということだ。庶民や官僚にとっては、はっきり言って、王は誰でもよい。誰がなってもよい。それがイギリス流だと思った。
 外国からの侵入者をも平気で受け入れる。征服され、その結果、しかたなく征服者を王としてあがめる、というのとはちょっと違う気がする。
 ローマ人をも、ゲルマン人をも、北方のデーン人をも、フランス人をも、侵略し征服してくれば、彼らを支配者として認め、彼らの中の指導者をイギリス王にしてしまうのだ。
 実に発想が柔軟だ。

 日本の歴史には、少なくとも天皇家が支配権を握ったあとの日本の歴史には、このような現象はなかった。外国から侵略を受け、征服されるという経験自体が日本にはなかった。

 「万世一系」ということを絶対天皇制時代には、日本の誇りと考え、国体思想を作り上げた。

 イギリス史を読んでいると、万世一系などという思想にしがみつく頑なさが信じられなくなる。
 要は、庶民がどう生きるかが問題なのだ。頭の飾りにこだわることはないのだ。イギリス史はそれを象徴的に語っている。
 庶民の立場から見れば、万世一系など、何の意味もない。
 一人の王が死ねば、王選びの手続きは振り出しに戻るのだ。息子に引き継がれる保証はない。それがイギリス流だ。

 昭和天皇は、大正天皇の摂政時代、ヨーロッパを旅行し、特にイギリスにおいて、イギリスの、そしてヨーロッパのこうした王政の思想を学んできた。
 中国史にもある、一種の革命思想だ。万世一系に価値をおかない思想だ。
 庶民の立場から国を見る思想だ。共和制にも進みうる自由な思想だ。

 昭和天皇は、個人の思想としては、けっこう開明的であったと言われる。軍の力に抵抗しきれなかった弱みはあったが、個人としては決して戦争を容認していたわけではなかったと思われる。

 話が飛んでしまった。

 自由な身となってからの楽しみは、まだある。旅行、温泉めぐり、映画、そして家庭菜園。
 今年はゴーヤがよく取れた。ウリもたくさんなった。今はすでに9月中旬、夏を惜しむように、ナスが実をつけ続け、ミニトマトがまだまだ盛りである。
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 彼らを見ていると、自然の力、生命の不思議な力に目がくらむ思いがする。
 一粒の小さな種の中に、季節を察知して芽を出し、成長し、再び実をつける力が潜んでいる。不思議だ。

(2012.9.18)

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