秋景・コスモス畑

コスモスの花々々に照る銀河
人の世は邂逅にしてコスモス凛
ふうわりと風来ぬ吾にコスモスに
友と逢ふ嬉しき日なり秋桜
この道の末にあるとふ群れコスモス
かへりゆく道いづこぞと馬追鳴く
一人われたたずむ川に風は秋

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 重信川の土手は、かつてはジョギングコース、走ることをやめてからはサイクリングや散歩のコース。思えば、かれこれ35年もの長いつきあいとなる。いや、27歳で砥部町に住んで以来だから、正しくは37年か。

 森松橋から横河原橋にかけて、川の風情で知らないところはないと自負するまでになっている。春夏秋冬、あらゆる季節、あらゆる草花、あらゆる木々、あらゆる風、あらゆる水、あらゆる砂塵、あらゆる石、あらゆる傾斜、……。

 目を通してだけではない。体ごと、あらゆる川の風貌を、土手道からぼくは体験してきた。


 そのぼくに、昨日一つの発見があった。何でもないことだ。

 自転車で牛渕橋から上流に向かっていた。もう何百回走ったかしれない土手道だ。近ごろは、そのまま横河原橋をすぎ、どんどんと最上流、さかだる村のあたりまで行くこともある。

 昨日走ったのはわずかな距離だ。柳源泉という澄んだ水の湧き出す泉をすぎ、やがて川は東向きから北向きへと流れを変え(下流から上流を見ている)、土手道がわずかに川を離れ、道と川との間にホースライディングパークという乗馬クラブのあるのを右に見、やがて再び道は土手へと戻っていく。

 そこだ。何度も何度も通りなれたそこだ。

 高速道路の橋脚の隙間からコスモスが見えた。一瞬視野を横切っただけだが、半端な数のコスモスではないことは直覚できた。群がり咲いている。その群生に人影が呑まれている。どうやら写真を撮っているらしい。

 まるで突然現れた桃源郷だ。

 いったん通り過ぎたものの、土手へは上がらず、道をそちらに戻した。

 広さは小学校の校庭くらいか。一面のコスモスが風に揺れている。見るとコスモスの向こうに、白い建物があり、壁に「坊っちゃん劇場」と赤く大書されている。

 えっ、何だ、ここだったのか。利楽(りらく)という温泉もある、よく知られた保養施設だ。

 ここに来る時はいつも車で正面から入るから、裏側のことを知らなかった。秋にはコスモス祭があり、100万本のコスモスが売りになっていることは、よく知っていた。しかし、その時期にコスモス祭に来ることは、これまでなかった。

 今、はからずも裏口から入り込んでしまったわけだ。もちろん入場料などないから、無断侵入ではない。


 この土手道、サイクリングロードである。何度自転車を走らせたかしれない道だ。だのに、坊っちゃん劇場がそこにあること、道が劇場のすぐ裏手を走っていること、その事実に、なぜかぼくは気づくことがなかった。理由は簡単だ。土手のサイクリングロードからは、坊っちゃん劇場がちょうど死角に位置しているのである。高速道路という障壁のために。

 表裏一体の表と裏とが、高速道路があるがために、ぼくの頭の中で結び合っていなかった。昨日まで。


 こんなこともあるものだ。

 大仰にいえば、人生によくあることだ。自然科学にだってある。数学の世界にだって。

 最近、ABC予想が証明されたと読んだ。数百年もの間、数学者を悩ませ続けたあげく、天才ワイルズによって20世紀の暮れ方にようやく証明されたフェルマーの最終定理が、ABC予想を使えば、いとも簡単に証明されてしまう。

 ABC予想自体は1980年代に出されたものだ。ABC予想がABC定理になってしまえば、それを使ってフェルマーの最終定理を証明することは、ぼくにだってできそうだ。一つの数学的事実を、表から見るか裏から見るか、それが世界をまるで変えてしまうという実例である。

 坊っちゃん劇場とフェルマーの最終定理を結びつけるのは少々強引だが、まあよく似たものだ。陰に隠れて表口しか見えなかったものも、そのヴェールを引きはがして裏から眺めれば、「なあんだ」の一言で終ってしまうのである。


 それにしても、ひょんなことから、ひととき、よい時間を過ごすことができた。思わず下手な俳句をひねってしまった次第である。

 十分堪能し、帰途につく。心地よい秋風が体の奥までしみ通る。


(2012.9.21)



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