おれ、年寄りだよな

もう3年も更新していなかったことになる。つい先日、68歳になった。歳月の早さに驚く。年寄りのたわごとを再開しようかと思う。
と書いて思った。3年前まで、自分を年寄りだと自覚することなどなかった。だのに、わずか3年経ったにすぎない今、いとも自然に「年寄りのたわごと」などと書いてしまう。なんとしたことだ。
自分を思わず知らず「年寄り」に分類してしまう現実の悲しさ。事実は事実として、つまり世間の一般的な目で見て、「おれ年寄りだろな」とは認めても、自分に向かって「おれ年寄りだよな」と自覚することは、死にも値するほどつらい、苦しい、悲しい。まだそれほど体力は落ちていないのだし。
ところが近ごろ、自分を年寄りと自覚させられる機会がとみに増えた。
たとえば、10日ばかり前、免許証を更新した。無事故無違反でゴールド免許をもらったのはいいが、次に期限が切れるのは73歳。頭の中でそう計算したとき、愕然とした。70代がすぐそこだ。
驚きはこれで止まらない。「次からは、無事故無違反でも有効期限は3年になりますよ」と言われてしまった。しかも、更新手続きに先立って、教習所で年寄り用の講習を受けないといけないのだと。
なんとなんと。あと5年で、そんな歳になってしまうのか。もはや現役とは誰からも見られず、箒で社会の片隅に掃き寄せられる存在になってしまうのか。腰を抜かした。気づかぬうちに、人生はもう秋を過ぎて、初冬ではないか。
ぼくが好きな童謡に、
 村の渡しの船頭さんは、
 ことし六十のおじいさん。
 年はとってもお船をこぐときは、
 元気一ぱい艪がしなる。
というのがある。初めて覚えたのは、小学2,3年生のころだ。子供の雑誌に、艪をこぐおじいさんの絵とともに載っていた。以来、「六十」=「たいへんなお年寄り」が、ぼくの中で定着したイメージとなった。そのぼくがだ、気づくと六十を過ぎ、七十が近い。それを知ったときのショックは、耐えられなかった。激痛だった。
まだある。功なし名をなした先人たちの享年が、たいていは今のぼくの齢に達していないことを知ることだ。たとえば、2月に入って読んだ本で言えば、寺田寅彦が57歳。ハイネが59歳。堀辰雄が48歳。岡本かの子が49歳。こういう人たちのきらめくような仕事を思うと、何もしないで68歳まで生きてきたぼくがえらく年寄りに見えてしまう。

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