月の沙漠

前回、『船頭さん』の童謡を引き合いに出した。

童謡で思い出すのは、『月の沙漠』だ。三歳になるかならないころだろう。母が歌って聞かせてくれた。

ぼくが人生で初めて聞き覚えた童謡、とまで言ってよいのかどうかは知らないが、幼い心に最初に響いた童謡と言うなら、まちがいなく『月の沙漠』だ。

母の膝の上で、母が開いてくれる絵本を眺めながら、母が歌ってくれる歌を聞いていた。今もその場面がくっきりと思い出される。

ピカピカテカテカの絵本ではなく、しっとりと落ちついた、どちらかと言えばくすんだ色調の絵本だった。そこに、ラクダに乗った王子様とお姫様がいた。背景はどこまでも続く砂漠だった。

そのとき以来、この歳になるまで、『月の沙漠』の歌は、月にいる王子様とお姫様の歌だと、ぼくは疑いもなく信じこんでいた。月の沙漠は、ぼくにおいては、そのものずばり、月世界の砂漠だった。誰もいない月世界の砂漠を、どこからか来て、どこかへと、王子様とお姫様がラクダに乗って歩いていく。それがぼくの『月の沙漠』だった。

幼心にも、もの悲しく、哀切な歌だった。心にじんと響いてきた。

ところがだ、今、歌詞をつくづくと読んでみて、それがまちがいだったと気づかされた。

次のような歌詞だ。


 月の沙漠をはるばると、旅のらくだが行きました

 金と銀との鞍置いて、二つならんで行きました


 金の鞍には銀の甕、銀の鞍には金の甕

 二つの甕はそれぞれに、紐で結んでありました


 先の鞍には王子さま、後の鞍にはお姫さま

 乗った二人はおそろいの白い上着を着てました


 広い沙漠をひとすじに、二人はどこへ行くのでしょう

 朧にけぶる月の夜を、対の駱駝はとぼとぼと


 砂丘を越えて行きました

 黙って越えて行きました


もの悲しく、哀切。それは、いま読んでもまちがいなくそうだ。

だが、「朧にけぶる月の夜を」とある。衝撃が走った。イメージがまるで逆転ではないか。コペルニクス的転換だ。

この一句を、ぼくは長年見落としていた。気づかないでいた。言葉通りの「月の沙漠」と信じこんでいるから、何度読んでも、何度聞いても、この一句を素通りしていた。

なんだ、地球の砂漠なのか。月の光に照らされた砂漠なのか。それも、煌々たる満月ではなく、おぼろにかすんだ月の夜なのか。日本的な、しめっぽい砂漠なのか。

そう思ったとき、歌の評価が、ぼくの中でグラッと揺らいだ。

「月の沙漠」は「月世界の沙漠」のままでいてほしかったのにな。その方がよほどイメージは哀切で、美しいのにな。神秘的なのにな。




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この記事へのコメント

無端庵
2017年02月22日 12:19
東雲~御幸の先輩ですね。松山の情景を拝見して、ああ、幼い頃はそうだったと貴重な写真に目を奪わらました。
記事に出てくる、学芸会は私も覚えています。愛媛大学の講堂でした。 寒かった! このところ更新が無いようですがお元気でお過ごしでしょうか?

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