とにもかくにも生きている

前回のブログが2016年2月25日。2年あまり前だ。あれから思わぬことがいろいろ起こり、ブログは休止状態になっていた。

一つは、中学時代からずっと私の囲碁の師匠でありつづけた母方の叔父が、前回のブログのわずか2日後、96歳で大往生を遂げたこと。そのこと自体は、十分に生き尽くした後の往生だから、別に大きなショックではなかった。しいて言えば、人というのは相応の歳が来れば、やはりおのずと死を迎えるものなのかと、人間の人間たるゆえん、生けるものの生けるものたるゆえんを実感させられたことくらい。つまり「哀れ」を実感したわけだ。これは、人生の局面局面における個別の哀れを言っているのではない。人間という存在に付随する哀れ、普遍的哀れ、逃れることのできない摂理としての哀れとでもいうもの、それを実感させられたということだ。

そんなことがあった数日後、今度は犬が死んだ。ひところわが家には4匹の犬がいたが、私が定年になったのち、一匹死に、二匹死に、三匹死にして、ついに最後の一匹になっていた。死んだ犬はどれも長年飼ってきた家族同然の犬だった。毎日彼らと散歩し、ときにはジョギングの供ともなってきた犬たちだった。ずいぶんな歳で、どれも言ってみれば老衰死だった。最後に残っていた四匹目が、叔父の死から数日後、予兆もなく、突然あっけなく死んだのだった。この犬だけは、老衰というには早すぎた。人間でいえば50歳といったところ。

実は、その犬を連れてよく叔父さんの家を訪ねていた。叔父さんになついていたのだ。どうもそこに何かがあるのではないかと、私も妻も、どうしても考えざるをえないような死に様だった。叔父さんが呼んだのか、それとも犬の方が叔父さんのもとに駆け出したのか。そうなんだ、その犬は死ぬ前、妻に抱かれたまま、パタパタと、いかにも駈けているかのごとく何度も足を動かしたのだった。そしてその後、ふっと遠くに飛び去った。静かに息をしなくなって死んでしまった。死に顔は平穏だった。

死因は心臓発作ではないかと、死にいたる数分の様子を獣医師である娘に電話で話すと、娘は言ったのだったが……。

でもきっと何か、目には見えぬ力が働いたのだと、私はやはり考えてしまう。

しかしまあ、この二つの死は、これ以上は語らないでおこう。考えても何もわかりはしない。

三つ目は、私の身に起こったことだ。犬が死んでひと月あまりしたころ、たまたま受けた検査で、ある数値が異常に高いと診断され、なんと、思いもよらない血液腫瘍内科というところに回されてしまった。

ただちに精密検査が始まった。何日も何日もかけ、ときには検査入院までして、血液のみならず、全身のあらゆる臓器が、レントゲンだ、エコーだ、CTだ、生検だと、隅から隅まで調べ上げられた。もうこれ以上の検査はないというまでに調べ尽くされた結果、主治医から告げられたのは、全身性アミロイドーシスという、およそ聞き覚えのない病名だった。

さりげなく、ほんとうに風のようにさりげなく、「血液のガンの一種です」とも告げられた。「症例はきわめて少なく、研究が十分に進んでいない難病です」とも。

心に備えのなかった私には、何を言われても、言葉はただ耳をかすめて吹きすぎるだけ。自分のことが語られているとは、不思議にも私は、まったく想像することができなかった。ぼんやりと他人事のように聞いていた。そう、まさしくすべてが他人事だった。他人事として、主治医が紙に書きながら説明してくれる病気の概要を、まるで大学で講義を受けてでもいるように、淡々と聞いていたのだった。

帰宅してネットで病名を検索してみた。愕然とした。ぞっとするようなおどろおどろしい言葉が並んでいた。「平均余命は1年半」、「2年生存率は50%にも満たない」、「治療をしても予後不良」、……。

一人机に向かい、2年後の世界に自分はもういないのかと想像してみたとき、涙がいきなりポロポロとあふれ出た。止まらなくなってしまった。悲しいというより、悔しかった。いや、怖かったのだ。怖くて怖くてしかたなかった。

難病ではあるが、いや難病であるからこそ、研究は世界的に急速に進んでいるようだ。ぞっとするような言葉やデータは一昔前のものだろう。半昔前かもしれない。自分で自分に勝手にそう言い聞かせることにした。

今は、比較的安定した寛解状態にもっていく治療法が確立しつつあるらしい。実際、私もそれを受けた。「造血幹細胞の自家移植」という処置だ。

最初に自分の造血幹細胞(あらゆる種類の血液細胞に分化する能力を持つ細胞)を採取し、その後に、大量の抗がん剤によって、血液中の細胞を、ガン化しているものもいないものも、皆殺しにしてしまう。そうした後に、採取しておいた自分の造血幹細胞を体内に移植して、血液をゼロから新しく作り直す。とまあ、こういう処置だ。人間というのはよくもまあこんなことを思いつくものよと、そら恐ろしくなるような、なんともすさまじい処置ではあった。大量の抗がん剤を使うから、手足がピリピリするほどしびれて痛み、下痢や高熱やけだるさも並大抵ではない。

それでも結果はまあ成功だった。その後は、別段どこといって悪くなることもなく、「2年後にはこの世界にいないかもしれない」と考えたその2年も、間もなく過ぎようとしている。いまだに元気に生きているから、不思議なことだ。ありがたいことだ。

もちろん完治はありえない病気である。今はおだやかな寛解期にあるとはいえ、いつまた悪くなるか、それは誰にもわかりはしない。今度悪くなったら、歳が歳だから、再度の移植にはもう耐えられないだろう。半ば観念しつつ、しかし不安は気力で払拭しながら、とにもかくにも生きている毎日なのだ。

あの犬が身代わりになって先に死んでくれたのかもしれないねと、妻がいつも言っている。

ブログをまたぼちぼちと始めようかと思う。




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