参院選に思う。若者よ、ああ。

一年ぶりです。この間、月に一度の抗ガン治療によって、病状は格別よくもならないが、悪くもならず、これならボクにも「老後」というものがあるのかもしれないと、先行きに少し明るいものが見えてきたこのごろです。

追々と日々の思いをまた記していこうかと思えるようになってきました。

先日、高熱が出て3週間ほど入院したのですが、そのとき、治療というよりは検査のために、足のつけ根からリンパ節を取り出しました。ちょっとした手術でした。3センチばかり皮膚を切り、内部をえぐり、リンパ節を切断して取り出す。もちろん局所麻酔をしているので、痛みはまったく感じない。

取り出されたリンパ節を、「見ますか」と尋ねられ、一度は「いやけっこうです」と答えたものの、滅多に(というより一生に一度も)見る機会のない代物。「やっぱり見ます」と答える。すると、手術台に仰向けに寝かされたボクの目の前に、ピンセットではさまれたリンパ節、取り出されたばかりの生々しいそれがぶら下がった。第一印象は梅干しだった。直径2センチほどの球体が真っ赤に染まり、表面は梅干しそっくりにシワシワしている。あとで聞くと、真っ赤なのは血に染まっていたから。洗えば白っぽいものらしい。

それにしても、滅多に見られないものを見たわけではあります。

今、参院選のさなか。与党が優勢という選挙情勢の序盤調査を新聞で読むと、なんだか目の前が暗くなります。

ボクにできることは野党統一候補に一票を投じること、それだけ。こうした一票一票の積み重ねが日本の将来をどう決めるのか、ただただ祈る思いで見守ることしかできません。

信じがたいのは、大学生をも含む若者層の多くが平気で自民党を支持していること。若者は元来、よりよきものを求め、変革へと向かうもの。「今」を良しとはしないもの。こんな考えは過去の古い幻想にすぎないのでしょうか。ついつい自分の学生時代と対比してしまうのは、老人のノスタルジアにすぎないのでしょうか。

半世紀前、日本の学生は政治の改革を求めて立ち上がり、沸き返っていた。今、香港で市民や学生が巨大なデモの渦を作っている。あの沸き返った熱気を何十倍、何百倍にも高めたエネルギーが、当時、日本を包みこんでいた。反戦平和のため、大学の改革のため。

今の若い人には信じがたいことでしょう。

こんなことを思い出すこと自体、もはや老人の時代離れした郷愁にすぎないのでしょうか。

今や、時代はすっかり変わったみたいです。若者たちが令和のカウントダウンでお祭り騒ぎをする。令和令和の興奮の渦は、二ヶ月が過ぎた今もなお、無意識のうちに、日本人の心の内で舞い狂っているらしい。

別に令和がどうこう言うわけではないのですが、背後には政府のあからさまな天皇交代劇の政治利用がある。ものごとを少しでも冷静に見る人の目には、それがはっきりしているにもかかわらず、まったく無頓着に、脳天気に、煽られたお祭り騒ぎの中にどっぷりひたってついて行く。それが現代の若者であることに、ボクは深い危惧を覚えるのです。ものごとを外から客観視し、本質を見抜き、しかも必要ならば戦う勇気と力をもった本来の若者らしさ。それをすっかり失った現代の同調型若者が、信じられないのです。悲しいのです。悔しいのです。

高度経済成長の一翼を担ったボクら老人は、もはや消えゆくのみ。将来を背負うのは今の若者たちです。その若者の姿に一抹の不安を覚えざるをえないのです。

これもまた老人の時代遅れのノスタルジアなのでしょうか。

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