自由の身であることと表裏一体の、老人の悲哀

先日、この夏初のセミの声を聞いた。長かった梅雨空が晴れて、空が真っ青にきらめいた日だった。セミが衝動に堪えられなくなったのか。7月16日だった。

7月16日は、私が勝手に松山の梅雨明けの日と決めている日だ。自然界も私の思いに気づいているのか、16日には必ず空が晴れ上がる。いきなり夏空が現れる。やっぱり今年も16日だった。得心しつつそう思ったことが、いったいこれまで何度あったことだろう。(これは私の感性の問題。気象庁発表ではない。)

今年はどこかいつもと違う。たしかに16日に空は晴れ、セミが鳴いた。だのに翌日以降、声がパタッと止んでしまった。空も梅雨空に戻ってしまった。

梅雨空と言ってはおくが、今年の松山は空梅雨だ。ザザッとときたま降るには降るが、雨量にすれば無情にもゼロ。だけど曇っているから、気温は真夏にほど遠い。セミもこれでは鳴く気になれない。

昔だったら、これはもう大飢饉だ。さすがに今は大丈夫だが、日照不足は歴然たる事実。いったいこれをどう乗り越えるのだろう。


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昨夕、久し振りに猛烈な雨が降った。1時間の雨量が30ミリだったという。100ミリなどという雨もあって、経験した人が、「バケツをひっくり返したよう」と、通り一遍の形容ではなく、心底の実感としてテレビで語っているのを見たことがある。それからすれば30ミリなど序の口だろうが、我が身で体験すると30ミリもなかなかのもの。傘をどこに向けても、隙間から雨が容赦なく打ちつけてくる。

雨が過ぎると、今日はまたいつもの曇天。やはり松山は空梅雨らしい。空梅雨のまま、いつともなしに梅雨は去って行くのか。

松山の空とは裏腹に、全国各地を豪雨が襲った。地球温暖化! 異常気象! ただごとではない。


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それにつけてもつくづく思う。松山はなんと気象災害から守られていることかと。

「四国地方は250ミリの雨」のような天気予報をよく耳にする。あれはまずたいてい松山の話ではない。四国山脈の南側、つまり高知県とか愛媛の南予地方の話だ。

瀬戸内の松山に自然が荒々しい顔を見せることは滅多にない。台風にしろ豪雨にしろ、たいていは南の風に乗ってくる。南を四国山脈で守られている松山は、まるで城砦の中だ。しかも、山脈の背骨にそびえる石鎚山は西日本一の山。たのもしいことこの上ない。

同じ四国山脈を南にしていても、西条や新居浜あたりは、山脈からあまりに近いため、石鎚下ろしと呼ばれる強風が吹く。山脈からほどほどの距離にある松山は、やはり恵まれているのだ。気象における特異点だ。

そんな松山でぬくぬくとすごしていると、人間は知らないうちにヤワになる。私など、その典型だ。まして、年金生活者となって久しく、自分で自分の仕事(と自分でみなしているもの)をコントロールするほか、生活を律する強制力のない身になってみると、ヤワへヤワへと流れていくのを、なんだか他人事のように眺めるばかりだ。

「自由の身であることと表裏一体の、老人の悲哀」というところか。

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