早起き、早朝マラソン、金魚のこと、草舟流し

今朝は早起きをして、5時半ごろ起きた。昨日と同様、猛烈な寒さ。ひょっとすると昨日より寒いかも。寒気にキューンと身が締めつけらる。

子供のころ、冬休みになると近所の子供たちと必ず早朝マラソンをやっていた。これはわが町筋だけの伝統で、学校からは何も勧められていなかったにもかかわらず、先輩の伝統を守って、毎年自然に続いていた。一年生から六年生まで、一日としてぼくは休むことがなかった。あのころの身が縮むような寒さを思い出す。
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(わが家の二階から狭い町筋を撮った写真。この道に子供らが集まって、冬休みの寒い中、真っ暗なうちにスタートしたのだった。遠くの山は松山城の城山。道後公園は左奥にある。この写真はどうやら夏だが……)

子供らが起きてくるのは6時少し前だったように思う。外はまだ真っ暗。起きてこない子に「〇△ちゃん」と家の前で叫んで回り、やがて5分もすれば、メンバー10名ほどが集結する。

道路の水たまりの水は必ず凍っていて、手で叩いたくらいでは割れなかった。遅い子を待っている間、石ころで氷を割って遊んだものだ。

裏口の外で金魚を飼っている家があった。いつも空気かブクブク泡を立てているその水槽は、表面近くの数センチが必ず凍っていた。飼っているのはぼくらの仲間の一人で、一つ年上の子。水が凍って金魚がかわいそうとぼくはいつも思うのだが、氷の下は意外にぬくくて平気で泳ぎ回れるのだと、その子は言っていた。金魚については人の百倍ほども博識だった。ずいぶん珍しい金魚がたくさんいた。

夏の金魚すくいでは、金魚屋のおじさんから「お前はもうやったらいかん」と禁止されていたほどの金魚すくいの名人だった。たった一つのすくい網で2,30匹も掬ってしまうのだから。

ぼくらは金魚の水槽をいっとき眺めてからスタートするのが常だった。道後公園の一番奥に、当時「新湯」と呼ばれていた浴場があった。今は「子規博物館」になっている。その前に立つ温泉マークの石像がゴールだった。片道1キロくらい。2回に1度はぼくが先頭で到着した。往復はしない。

帰りは電車通りから一筋北か二筋北の、きれいな小川のそばを歩いて帰る。行程の半分は農事試験場の中だ。草舟を流しながら、ワイワイ言い合って帰る。小さな石橋の中や、淀みの中で、草舟は立ち往生する。長い草の茎でつついたり、小石を投げたりして、草舟をふたたび流れに乗せる。一番早く家の近くのゴールに着いた者の勝ちなのだ。草舟合戦でぼくは一番になったことがなかった。

そんなことをしているうちに、南東の空から太陽が昇り始める。真紅にたなびく雲のあでやかなこと。誰もが思わず立ち止まって、呆然と口をあけて眺めたものだ。そのころにはもう寒さなど吹き飛んでいた。

今朝の空気は、そのころ吸った空気とまったく同じ。大陸から張り出したなつかしい寒気だ。においまでが昔と変わらぬ。当時をなつかしく思い出さないはずがないのだった。




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