ついにスマホ派に。コロナ禍を乗り切る奇妙きてれつな手段

今年は暖冬で早くも桜の便りが届き始めたが、わが家の門前のカリンもいつになく早く葉芽が出始めた。
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赤く見えるけど、これは花芽ではなく、葉芽。伸びてくると、赤い芽が青い葉っぱに変化する。例年よりも10日ほど早い芽吹きだと思う。

葉芽の芽吹きから1週間もすると、花芽が出てきて花が咲くのが普通。だから今年はたぶん3月を1週間ほど残して、花が咲くはず。いつもなら「ああ4月になったなあ」と入学シーズンの到来を告げるカリンの花なのに……。

一週間休んでいた抗がん剤を、また昨日から飲み始めた。3週間飲んで1週間休むサイクルを繰り返している。飲み始めの最初の日は抗がん剤にデカドロン(プレドニンのこと。1週間に1度飲む)が重なるので、副作用がきつく、昨日はとうとう眠れなかった。これはいつものことだ。

薬が効いていることがこれで実感できるのだから、ありがたいと言えばありがたい不眠なのだ。

そして何と、昨日はガラケーからスマホに乗り換えた記念すべき日となった。家内と一緒に、近くのauショップに行き、とうとう世の流れに乗ってしまった。若者のように、一日中スマホ片手という歳ではないから、スマホに乗り換えたと言っても今はまだ飾りにすぎない。

スマホの効用をまだ実感できないぼくなのだ。と言うより使いこなせていないのだ、今は。

新型コロナに振り回されている昨今だが、そして松山から一人感染者が出たと騒がれている昨日今日だが、さすがにぼくが住む郊外の田舎にまではコロナ君もやって来ないだろうと、あえて高を括っているぼくである。と言っても、もちろん外に出るときはマスクを欠かさないし、帰れば手洗い、うがいを徹底している。これはコロナ禍が来る前からのぼくの習慣だ。

散歩で人とすれ違うときには、互いが道の右と左に意識して別れ、決して「濃厚接触者」にならないよう気をつけている。考えればいやな世の中になったものではある。

いつまで続くのだろう、このコロナ禍。ぼくの予感では、まだピークを迎えていない気がする。少なくとも日本では。

大きなピークを迎えないままずるずると長引かせ、そのうち集団免疫ができるのを待つというのが、最近になって専門家が言いだした乗り越え策のようだ。一気に大量検査をすることで感染者を増やし(元々いる感染者を顕わな形であぶり出し)、その結果、医療崩壊を招く。これを彼らは最も恐れているらしい。

これでは、国民はなんだかだまされている気分になる。現実には周辺に大量にいるかもしれない感染者に目をつぶれと言われているのだから。知らないうちにさらに周辺にまき散らし、そのうちみんなが感染者となって、そこから「集団免疫」というのが作られる。それを意識的に待つというのだ。それしかコロナ禍に勝つ方法はないというのだ。

よほどひどい重症者や、免疫力の弱い老人や持病を抱える人が発症したときにだけ、「感染者」と認定して面倒を見てあげましょうと言っている。それ以外の人は、たとえ感染しても、あるいは発症したとしても、自宅に引きこもっていなさい、自然に治ってきますよと言っている。

まあ言われれば納得できないわけでもないのだが、現実にはコロナウイルスが死因だと知らないまま死んでいっている肺炎患者や、熱病患者がいるのではないかと疑いたくなる。

奇妙きてれつな昨今の日本だ。




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