安倍首相、潰瘍性大腸炎悪化? 同病相憐れむ私の体験

安倍首相の潰瘍性大腸炎が悪化しているのではないかと、うわさが広まっています。あくまでうわさであって、真偽のほどはわかりませんが、私も同じ病気を持病として抱えていますので、私の体験から、首相の状況を推測することはできます。

私が発病したのは36歳のときでした。今72歳ですから、これまでの人生のちょうど半分をこの病気と共に生きてきたことになります。

36歳の冬、それまで経験したことのなかった血便によって、大腸に異変があることに気づいたのでした。血便とともに、腸の奥がズキーンと痛み、体を動かす力がなくなってしまったのを覚えています。

大学病院で検査をしてもらった結果、「潰瘍性大腸炎です」と診断されたのでした。聞いたこともない病名でした。

「これは一生治りません。生涯連れ添わないといけない病気です」

と告げられたのが衝撃的でした。実際、それ以降、年に2回から3回、症状が悪化しては、その都度ステロイドを飲んで症状を抑えるということのくり返しとなりました。

悪化している間は、血便、あるいは、いやな感じの下痢が続きます(腹をこわしたときの下痢とはまったく別物の、不快な下痢です)。それとともに腹の奥のズキーンとした痛み。経験した人でないとわからない、耐えがたい不快です。

ステロイドはこうした炎症や潰瘍の特効薬ですから、処方された分量を飲んでいるうちに、じわじわと治まってはきます。しかし、一回の悪化ごとに最低でもひと月、長いとふた月くらい、痛みと不快とけだるさに耐えないといけないことになります。

それが年に2,3回は生じるという状況下で、なんとか仕事は続けていました。治まってしまえばケロッとして元気だし、まだ若かったこともあって、二十歳代から続けていたジョギングやテニスを毎日続けることもできたのでした。

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大きな異変が生じたのは、ちょうど50歳になったときでした。いつもの悪化とは明らかに質の違う悪化に襲われたのです。40度を越える高熱が出て、歩くことはおろか、立つこともできない状態になってしまいました。

即入院となりましたが、入院となると、やりかけていた仕事(書き上げている原稿をプリントアウトして郵送)を終えておかないといけなくなり、二階の書斎に上がろうとしました。しかし歩くことができず、まるで幼児に戻ったように、熱病にうなされたまま廊下を這って歩き、階段を這って上ったのでした。義務感に駆られて瀕死の状態でやったのでしたが、よくもまあそんなことができたことよと、あとになって思うことしきりでした。

最初の入院は2週間ほど。そしていったん仕事に復帰したのですが、1週間も経たないうちに症状がさらに悪化して、二度目の入院。これが2カ月くらい。そして再び仕事に復帰したのでしたが、3カ月ほどで、さらにどうしようもない重症になってまた入院。

その入院では、最初の40日間、生死の境をさまよっていました。痛さ、苦しさ、高熱にひたすら耐えながら、自分が生きているのか死んでいるのかさえわからない状態で40日を過ごしたのでした。その間、口からはいっさい何も入れることなく、点滴だけで生きていました。

それでも幸運なことに、なんとか少し回復し、「ああ、生きている」と自覚した瞬間の不思議な感覚が、今も忘れられません。

しかし、まだまだ入院生活は果てしなく続きそうだし、退院したとしても通常の生活に戻ることは不可能に思え、結局、1年間、休職することに決めたのでした。

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立ち直ってからも、悪化と回復をくり返しながらの50代となりました。ジョギングとテニスは50代以降、きれいきっぱりやめてしまったのでした。

60代に入り、職場の規定では63歳が定年でしたが、1年早く62歳で早期退職することにしました。これはすでに50代半ばから、将来の生活設計として決めていたことで、妻の同意も得ていたのでした。

理由は、少しでも活力の残っているうちに、つまり少しでも早く、外的束縛を逃れて自由を手にしたかったこと。手にした自由で、長年あこがれていた、書くこと、読むこと、描くことに熱中する生活に入りたかったことでした。

背景には、潰瘍性大腸炎の悪化/回復のサイクルからまだ抜け出せていないことがありました。

教師という仕事をしていたのですが、体の芯に巣くった痛みや不快感が消えないことによって、教壇に立つ体力と気力が徐々に奪われている実感が、還暦が近づくにつれ、あらわになってきたのでした。30代、40代のころであれば、若さによる活力がそれを自然にカバーしてくれていたのでしょうが、それがかなわなくなりました。

自分でも不思議なくらい、いわゆる「やる気」が失せてきているのがわかりました。

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退職して数年経ってわかったのですが、もう一つの持病となった全身性アミロイドーシスの主治医の先生から、慢性甲状腺炎をわずらっていると言われました。甲状腺ホルモンがほとんど出ていないというのです。

このホルモンが少ないと、疲れやすいとか、だるいとかの症状が現れるといいます。「元気がなくなって、やる気が出なくなる」症状と言い換えてもいいのでしょう。他人にはなかなかわかってもらえないので、職場の上司や同僚からは「サボり病」とみなされてしまうことさえあるらしいのです。

おそらくこれが還暦を前にしたころからすでに始まっていたのだろうと、ハタと思い当たったのでした。自分でも不思議でならなかった、あの元気のなさ、やる気のなさの根源はこれだったのかと、謎がパッと解けた気分になりました。

甲状腺ホルモンの問題は、薬で簡単に解決し、今は正常値に戻っています。それによって、あのころ味わっていた鬱々としたやる気のなさは、今はすっかり消えてしまったと言えそうです。もちろん、歳相応の体力の衰えは隠しようがありませんが。

早期退職を50代半ばから計画していたもう一つの理由は、年金のほかに別の収入源が生じたことでした。退職して職場の給料がなくなったとしても、退職時の年収程度の年収が今後ずっと得られるだろうことが、十分な確実性で保証されたのでした。職業欄には「自由業」と書くことにしていますが、これがあったから、安心して早期退職を選択することができたのでした。これは私の後半生にとって本当にラッキーなことで、いくら感謝しても感謝しきれません。

早期退職して自由を手にすると、不思議なもので、潰瘍性大腸炎は目に見えてよくなっていきました。この病気は気分に左右され、気分を起爆剤にするところに特徴があるのです。年に2回だった悪化が、退職後は年に1回になり、そのうち2年に1回になり、ついに今は、ここ4,5年、悪化を経験しないで済んでいます。

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思うに、安倍首相がルンルン気分で第2次安倍内閣の頂点に君臨している間、潰瘍性大腸炎はなりをひそめていたのでしょう。ところが、ここへ来て精神的に参ってしまう要因が次から次と出現し、ルンルン気分は地に落ち、穴に転落してしまった。そうなると、なりをひそめていた潰瘍性大腸炎がむっくり起き上がってくる。これはこの病気の宿命的必然なのです。

まあ、あくまで想像の話ですから、これ以上は書きませんが、潰瘍性大腸炎というのはそういう病気だということが、同病相憐れむ私にはよくわかります。

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