脚立から落下。肋骨を折り、頭内出血。

2週間ばかり入院し、3日ほど前、ようやく退院した。なぜ入院したのかと言うと、なんとも情けない話だが、書斎の天井の蛍光灯が点かなくなったのを取り換えようと、脚立の上で作業していて、ふと安定を失って落下したのだ。決して、持病の潰瘍性大腸炎や全身性アミロイドーシスが悪化したのではない。

蛍光灯を手でいじっていた記憶はたしかにある。だけど、その先の記憶がまったくないのが不思議でならない。落下し始めた瞬間、記憶が飛んでしまったようだ。気づいたときには、妻がそばにいて、私は書斎の床に転がっていた。

なぜ妻がいて、なぜ床に転がっているのか、私には一瞬、事情がつかめなかった。妻が言うには、蛍光灯が私と一緒に落ちてきて、あたり一面ガラスが散らばっていたらしい。それを妻が急いで片づけてから、私を揺すって起こしたらしいのだ。

落ちた際にガラスで切ったのか、それとも落ちる途中、机の角ででも打ったのか、それはわからないけど、あごがぱっくり裂けて出血し、さらに胸からかなりの出血をしていた。肋骨を三本折っていた。

妻が出かけていて、家には私一人しかいない間の事故だった。もしも長く妻が帰っていなければ、出血多量で大ごとになっていただろうということだ。しかし偶然にも、妻が玄関の扉を開けたその瞬間、二階でガタガタガチャンと、とてつもない音がしたのだという。

それで妻が駆けつけ、事故を知ったのだった。だから、意識不明で倒れていたのはせいぜい10秒か20秒ということになる。

だが、気づいたときにはもう外に救急車が止まっていて、直ちに担架に乗せられ、運び出されたように思われる。妻が救急車を呼ぶ電話の声も、救急車がやって来て家の前に止まる音も、まったく耳にした記憶がないから、妻は救急車が来るまでそっとそのまま起こさずにいたのであろうか。それなら10分くらいは意識不明のまま倒れていたとも考えられる。

まあそれはどちらでもよい。病院に運びこまれて直ちにあごのぱっくり切れたのが縫い合わされ、さらに、胸のレントゲンが撮られ、頭をCT検査された。

結果は、肋骨が三本折れているのと、頭に内出血が2ヶ所あるとのことだった。頭の方には、「右急性硬膜外血腫」と「外傷性クモ膜下出血」という難しげな名前が二つついていた。

肋骨は時間が経てば自然に治るから、問題は頭の方だった。二週間でとりあえず出血箇所の血が周囲に吸収されて消えたため、ひとまず退院となったのではあるが、右側の頭蓋骨と脳との間に間隙ができていて、そこにじわじわ血がたまってくるのが一番の心配とのことだった。血がたまったまま放置すると、体の左半分に麻痺などの障害が出るらしい。そのため定期的にCT検査をして調べましょうということなった。

もしも血がたまってくるようだったら、頭蓋骨に小さな穴をあけ、そこから血を抜き取る手術をするらしい。

先々にこうした心配を抱えてはいるが、今は散歩などで体力を回復して元気になった。肋骨のひび割れがときどきチクチク痛むだけである。

それにしても、若いころには脚立の上で平衡を失って落下するなど、考えられもしなかった。70を過ぎるとこういうことが起こるものかと、歳というものをつくづく考えさせられる出来事となった。

退院後、この話を知り合いにすると、その知り合いの知り合いという人が、数年前に、同じように脚立から落ちて頭蓋骨を折り、脳が傷ついたか何かして、その後ずっと体が不自由なままだという。

こんなこともあるのかと、ますます脚立からの落下のこわさを思い知らされたのであった。

人間の体、特に神経系統は精巧にできていて、思考と感覚と記憶という、人間固有の精神活動の源であるわけだが、それが実存としては、つまり肉体としては、なんともろいものであることか。つぐづく今度の事故によって思い知らされた。工場での機械との接触による事故といい、自動車事故といい、山からの滑落といい、海や川での水難事故といい、猛獣との遭遇事故といい、日常の生活にはない場面に遭遇すると、実存は簡単にその弱さを露呈して、ときには死にいたることさえあるのである。

そんな弱い肉体を支えとし、その内部にひそんで、宇宙全体にさえ思いを馳せることのできる精神というものの、なんと不思議な存在であることか。

実存としては、生物の中でも弱い部類に属する我々人間だが、巨大な精神の広がりを持つことによって、全生物の王者に君臨している。そのことの不思議を思わざるをえないのだ。

残念なことに、王者に君臨するべく歩んできた長い道のりを破壊するような現象が、今日、地球上のさまざまなところで生じている。覇権主義、独裁者、自国中心主義、一国ナショナリズム、……、さまざまな言葉で呼ぶことのできる現象である。あるいはたとえば日本のように、当たり前の論理がまったく通用しないで、権力者によって公然と踏みにじられる国もある。

一昔前までの権力者にはあったはずの「正常な感覚、正常な理性」が、今ほど権力者からほど遠いものになった時期は、戦前・戦中においてさえなかった気がする。小学生にだってわかるウソを平気でつく人が最高権力を握っているのが実情だろう。

野党の力による政権交代が、今ほど求められているときはないのである。権力構造を正常に戻す、そのために政権交代という新風が今ほど求められているときはない。神風という奇跡を求めているのではない。ごく当たり前の考えが当たり前に通用する社会を作るための必然の風を求めているのである。

このまま現権力者が長く居座るようであれば、日本ははたしていかなる国になるのであろう。多くの日本国民が、ゆがんだ国の実情に早く気づいてくれることを祈るばかりである。




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