言葉の不毛。演じられているバカ

菅首相の不毛な言葉のくり返しが問題になっている。「お答えできません」、「総合的、俯瞰的な判断により」。答えに窮すると、最後は必ずこれだ。問われたことの中心点から、するりとそれたところへ弓を射るのだ。聞きたいことにいっこうに答えないこの手法に、相手は、つまり国民は、腹の底から苛立ちを覚える。

そしてもっとも苛立ち、やるせない思いをしているのは菅首相本人かもしれない。もしも平然と、心からそれが唯一かつ正しい答弁だと信じて「総合的・俯瞰的」を何十回も繰り返しているとしたら、面の皮の厚さはもはや人間ではない。言葉を持たない野獣にすぎない。

決して尻尾をつかませない。つかませないつもり。そのために、聞く側が、「もういい加減にしてくれ、聞き飽きた、やめてくれ」というまで、何十回も平気で同じ答弁を繰り返しているのである。人間の辛抱をとうに越えた、意地としか言いようのない怖さを、これを言いつづける菅首相に私は感じる。トランプの子供じみた意地に通じる怖さである。

そして腹の底では、「うっふっふ、わかっておろうな。おれに逆らうとこうなるのだぞ」と、見せしめのスケープゴートとして、任命されなかった6人をさらし者にしているのだ。「おれの言うことを聞け。忖度こそ美徳だぞ。おれについてくる者にはうまい汁が待っているぞ」。こうして、国民を首相の意向に沿う者と、それに抗う者の二つに分断しようとしている。抗う者、すなわち敵である。排斥すべき敵である。

少なくとも政府の行政機関には敵は絶対に入れてはならない。徹底して排斥する。「おれの言うことに従わない行政機関の役人は、ただちに影響力を発揮できない隅っこの部署に異動してもらう」。菅首相は冷然と、首相になると同時にこう言ったのだった。そこには議論は存在しない。批判や議論や問題点の指摘を「悪」とみなし、役人をただ敵と味方に分断するだけである。議論によらず分断するのは、まさに独裁者である。トランプの4年間をお手本にした政治手法としか言いようがない。

日本学術会議の任命から6名をなぜ排斥したのか。個別には何も答えないから、国民は、排斥された者の過去の言動から判断して、「そうか、ああいう風に政府に異を唱えたり、たてついたりしたら、ああなるのか」と、勝手に判断し、「こわい、こわい、やっぱり忖度は美徳なんだ」と、身を守るための必然から、生きる道をゆがめるしかなくなっていく。

近ごろ、学者もマスコミも、「GO TO」に強い異議を申し立てなくなっている。新型コロナ第3波の到来にも、「個人の努力で乗り越えよう、GO TOのせいではないのだから」、こんな論調が増えている。これぞまさしく忖度だ。先日、尾見会長の記者会見を見ていて、おもしろい光景に遭遇した。「このまま増えていけば、GO TOを中断」と言いかけて、ただちに「いやGO TOだけを取り止めても効果は薄いのです。やはり各個人が」と論調を瞬時に転回させてしまったのである。忖度以上の忖度を私は感じた。

GO TOの扱いに困り果てている菅内閣の中枢部にあって、菅首相の意向をますます至上命題とし始めた尾見会長の変身ぶりが、如実にここに表れていた。

こうした現象が、ファシズムに突き進んでいく第一歩である。ドイツでも日本でも、国民はファシズムを望んでファシズムに突き進んだのではない。「知らないうちに、気がついたらいつの間にかそうなっていた」。後に戦時期をふり返った国民の正直な感想はそうだった。

我が身を守る純粋な動機が、いつのまにやらファシズムの推進力になっていたのである。駆動したのは国家中枢の一部であった。しかし、それに乗せられ、巨大な塊となってファシズムの推進力になったのは国民一人一人であった。

最初が大事なのだ。最初の抵抗が重要なのだ。抵抗が、「もうしょうがない」という諦めに取って代わったときが危険なのだ。今、われわれはその境目にいる。菅首相は同じ言葉をバカのようにくり返し、それによって国民を「何を言っても仕方ない」という諦めの世界に突き落とそうとしている。

本気でバカになっているとは思えない。もしもそうなら、彼は正真正銘のバカだ。しかし、さすがにそれはないだろう。”バカのように”バカを演じているのだ。それをつき崩すのは容易ではない。理を唱え、力を込めてそれに抵抗すればするほど、のれんに腕押しの虚脱感を味わわされるだけなのだから。演じられているバカほどこわいものはないのである。トランプのこわさもそこにある。

では、演じられているバカをつき崩すにはどうすればよいのか。それは選挙で勝つこと、それしかない。目の前のバカは、いくら理を唱えても崩せないのだから、目の前からバカを放逐するしかないのである。その手段は選挙だ。

アメリカの大統領選挙もそうだった。結局のところ、トランプ派の「あと4年」コールをつき崩すには、選挙でトランプを放逐するしかなかったのだ。トランプはいまだに幼児のように地団駄を踏み、抵抗しているが、これはもう時間の問題だろう。

日本では1年以内に必ず総選挙がある。そこで政権交代を目ざすのだ。バカにだまされないまっとうな政権を作るのだ。もちろん新政権の受け皿は野党共闘だ。それしかない。だが、今の勢力図では、それは夢のまた夢。しかし、流れさえできれば、不可能ではないと思う。その流れというのは、国民が「バカのこわさ」に気づくことだ。バカ放逐のために一致団結することだ。

さらに言えば、勝つための条件は、日本にジャンヌダルクが現れることだ。女性でないといけないとは言わないが、国民を「バカ放逐」の道へと導く英雄的指導者が現れないといけない。11年前の政権交代時には、鳩山由紀夫がそのイメージを体現していた。結果的にはイメージ倒れに終わってしまったが、少なくとも政権交代を実現させた英雄は彼だった。

今の枝野さんにはそのオーラがない。枝野さんで勝つのは100年待っても不可能だろう。

ジャンヌダルクよ、現れてくれ。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント