年賀状が「書くもの」から「作るもの」に変わったのはいつ?

毎年のことだが、いよいよになるまで押し迫らないと年賀状を作れない。昨日ようやくそれを作って、今日、投函した。今日というのが実は30日のことなのだが(日付が変わってからこれを書いているから)。

そうだ、年賀状が「書くこと」から「作ること」に変化したのはいつからだろう。一枚一枚手で書いていた記憶は、教師になってしばらくの間はある。しかも、学生時代までは万年筆だったのが、教師になって毛筆になった。その記憶もある。裏面は木板だった。木板の記憶は小学生時代にさかのぼる。中・高も木板だった。よくも丹念に彫ったものだと思う。教師になっても木版を彫った。

それが「作ること」に変わったのは、ワープロ専用機を買ったときからだ。日記を調べると、買ったのは1987年の秋。シャープの書院だった。さっそく日記書きにそれを使うようになり、学校のプリント作りにも頻繁に使った。数学のプリント作りのために種々の記号を外字で作ったりもしたものだ。涙ぐましい努力がなつかしい。

年賀状も、もちろん、だから1988年元旦の分から、「作る」方へと移行したことになる。今日投函した分を含めると、33年間、「作る年賀状」を続けてきたわけである。年賀状を出すようになってから、たぶん66年にはなろうから、その半分が「書く年賀状」、残る半分が「作る年賀状」であったことになる。

その後、ノートパソコン98NOTEを買って、ワープロ専用機とおさらばしたのが1990年秋だった。P1EXEというワープロソフトが理系の文書作りには便利だった。

やがてクヌース氏のTeXを使うようになり、理系の文書がさらに見違えるほどきれいに作れるようになった。それが1993年1月だった。

そのころから、自作のソフトをさまざま作るようになってきた。市販のソフトの足りないところ、不便なところを補うためにも、それはどうしても必要だったわけである。ある程度の完成品になると、フリーウエアやシェアウエアとして公開するようにもなってきた。

私がコンピュータを初めて使ったのは大学時代だから、もう50年以上になる。やがてNECに入ってコンピュータの開発(のほんの一端)にたずさわるようになった。当時は、コンピュータが家庭に入りこんで、個人で使う道具になるなんて、夢にも想像したことがなかった。大企業や政府機関で使うものとしか考えていなかった。実際、NECで担当したのは電電公社(今のNTT)向けの超大型コンピュータだった。

技術の進歩のめざましさにはあきれるばかりだが、私の場合、その進歩をとりあえず自分の目で確認しつづけてきた50数年であったことにはなりそうだ。

今日(30日)は本当に寒かった。夕方の散歩では、身が芯から凍りつくような感覚だった。抗がん剤を飲んでいるから、指先や足先は、寒くなくてもいつもしびれている。それがこの寒さ。ビンビンビンビンしびれてくる。いつもの3分の1も歩かないうちに、途中から近道をして帰ってきてしまった。明日(31日)と元旦はもっと冷えるらしい。

年寄りにはなかなか厳しい元旦となる。コロナと寒さ、うんと気をつけないと、体をやられたらもうおしまいだ。

半月ほど前からアマゾンのKindle本というのを使っている。電子書籍を読む装置(スマホをほんの少し大きくしたほどのもの)で本をダウンロードして読むのだが、これがけっこう安く読める上に(大半はタダ)、何よりいいのは、フォントを自分の目に都合のいい大きさに拡大して読めること。少し古い文学全集や文庫本は、なんでこんなに文字が小さいのだと、放り投げ出したくなるほど字が小さい。

昔の人は目がよかったのだろうか。多分そうだ。テレビもスマホもパソコンもなかった時代の人は、目がよかったのだ。だから活字があんなに小さくても平気だったのだ。それに、年寄りはあまり本を読まなかったのかもしれない。

宣伝するつもりはないですが、Kindle本は、なかなか便利です。

ああ、今年も残りわずか。歳をとるにつれて、カレンダーがめくられていくスピードが速くなっていきます。ついこの間、2020年用のカレンダーを家のあちこちにぶら下げたと思ったら、もう12月の分をめくって捨てないといけない日が来ました。小学生のころの1年のなんと長かったことか。今よりおそらく10倍も20倍も長かった気がします。100倍かもしれない。

(2020年12月30日)



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