不思議な元旦

なんだろう。元旦が元旦らしくない。昨日と今日との間に、つまり去年と今年との間に、仕切り線の一本も引かれていない。いつもの日々がそのまま明けて今日が来た。不可抗力の連続体だ。

今日を元旦だと思いこまなければ、それを思わせてくれる印がどこにもない。なんだか気抜けした元旦だ。

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(カリンは裸同然になり、)

田舎だからか。いやそんなことはない。田舎だからこその元旦があったはず。

コロナによって都会から帰省する人がいないからか。わが家もその一つ。東京にいる娘一家はこの正月、帰ってこない。

孫たちのにぎやかな声が響かないと、元旦はこんなにも元旦らしくなくなるものなのか。

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(庭にはもうスイセンが花開いている。)

夕方、いつものようにいつもの時間に散歩に出た。そして、よく通る池の土手下までやって来た。道が少し広くなり、車1台分の駐車スペースがある。そこにいつものように軽の乗用車が停まっている。公然たる長時間駐車。

土手を見上げると、男と女が釣りをしている。これもいつもの通り。太陽は西に沈んで光はとうに暮れている。見上げた彼らは、男と女というよりも、二つの黒いシルエット。それを男と女と知らなければ、男と男、女と女と思っても、誰にもなんともわかりはしない。

何もかもが連続体の今日なのだ。今日が元旦だと、どこにも印がつけられていない。昨日もそうだった。そして今日もまた昨日のまま。それだけのこと。

今日が元旦であることを忘れてしまう。こんな元旦って、いまだかつてあっただろうか。

こんな気持ちにさせられた理由はもう一つある。門や玄関に正月のしめ飾りが見られない。都会はどうだか知らないが、田舎では正月のしめ飾りは当たり前。少なくとも去年までは……。

門松や注連縄とまでは言わない。小さなしめ飾りだ。縄をくるっと丸く縛って、その下に凧の尻尾のようなワラを垂らす。それがわが家付近の正月のしめ飾りだ。自作の人はいないから、たいていはスーパーなどで買ってくる。

それが見られない。驚きだった。まったくないとは言わないが、歩きながらざっと数えて十軒に一軒くらい。いつもの年なら、どう少なめに数えても、十軒に七軒くらいはつけていた。

これもコロナのせいなのか。息子や娘や孫たちが帰ってこない静けさが、しめ飾りをつける風習すらも奪い取ってしまったのか。

だから町を歩いていて、今日が元旦だとちっとも気づかないし、実感が湧かない。なんと不思議な元旦だろう、今年の元旦は。

(2021年1月1日)



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