歳相応に衰えたもの
歳相応に衰えたもの。それは歩速だ。歩く速さ。かつてはかなり速い方だと自分でも自覚し、実際、前を行くたいていの人を追い抜いていた。
ところが近ごろ、普通の速さのつもりで歩いていると、若い女性にさえ追い抜かれることがある。なんとバカなと自分をけしかけて抜き返そうとするが、追いつき追い抜くのには、「えっ、こんなに」とあきれるくらい速く歩かないといけない。
若い人との違いはピッチだと気づかされた。歩幅の違いではない。ピッチだ。追い抜いていった女性を抜き返そうとして、そのピッチに自分のピッチを合わせようとすると、思う以上にとんでもなく速く回転するピッチであることに気づかされた。
これが歳だ。かつては私もそのピッチで歩いていたのだろう。それに加えて歩幅が少し広ければ、そりゃまあ、たいていの人を追い抜いてしまうはずだ。それが私の「普通の」歩きだったのだろう。
ああ情けない。ピッチの低下は明らかに筋肉の衰えによる。
今日の散歩では意識してピッチを上げてみた。残念ながら追い抜く相手はいなかったが、「そうそう、これだこれだ」と自分を取りもどした気分になってきた。
そしてあたりが暗闇に沈みかかったころ、数十メートル先に二人の人影が見えた。近づいてくるようだ。ぶつからないようにと歩道の縁に沿って歩いて行くと、なんとその二人、向こうを向いて歩いている。ともにおばあさん(こちらもおじいさんなのにね)。よっこらよっこらと歩いている。あまりに速さが違うものだから、二人は近づいているとしか見えなかったのだ。暗闇の中の影はのっぺらぼうで、お腹なのか背中なのか、そんなことはわかりはしない。
追い抜く快感を味わうには相手として不足。だがまあ少しばかりの快感を味わって二人の横をすり抜けた。
すり抜けた瞬間、こんな会話が聞こえてきた。
「半分になったんじゃけんねえ」
「いっぱいもろとったけんよ」
これが何の話なのかは容易に想像がついた。亭主のことか、それともおばあさんの歳から推測すると息子の話だろうか。定年退職後も継続して働いているのだろう。
私にはもはや遠い世界だ。風のように吹き抜けていった現実だった。
(2021年1月15日)
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