事実を認めて謝れば、罪はすべて許される?

森喜朗元総理(東京五輪組織委員会会長)のあからさまな女性差別発言。それが問題になると、彼は「事実は認めます。申し訳ありませんでした」と、実にふてぶてしい態度で、渋々と謝った。

そして謝ったその事実をもって、差別発言はあたかもなかったかのごとく、きれいさっぱり箒で掃き清められたのだった。IOCは驚くべきことに、「謝ったのだから、これですべては終わった。問題は何も残っていない」と幕引き表明さえした。

菅総理の息子に総務省幹部が食事やタクシーの接待を受けると、総務省側は「すみませんでした。接待費はすべて返却しました」。これで、「もう問題は何も残っていません」と言いたげだ。菅総理も、「息子は別人格」だと言い、「私とは関係ない。単なる一私人の問題にすぎない」と、どこからどこまで逃げ腰の答弁である。

ついでに言うと、ここで「別人格」という言葉を使ったこと自体に大いなる違和感を覚えてしまう。「人格」とは「二重人格」などという言葉からもわかるように、人の性格や人間性のことだ。息子との関係は人格の問題ではないだろう。「別人」、「無関係な人」と言いたかったところを、適切な言葉が出なくて「別人格」と言ってしまったのだ。実際、それを言うとき、菅総理は「べつじ……、べつじ……」と、言葉につまって一瞬空白の時間を1秒か2秒作ってしまったのを私はしっかり拝見させてもらっていた。

菅総理の語彙の貧弱さ、言葉感覚の低級さにはあきれてしまう。

それはそうとして、この件においてもやはり、事実を認め、お金を返却しさえすれば、あとに問題は何も残らないと言いたげだが、これはとても容認できるものではない。接待を受けたという事実そのものが罪であり、問題なのであって、それはお金の返却によって解消されるものではないのだから。

しかも、接待する側が総理の息子だったとなれば(知らなかったとは言いのがれできない)、そこに濃厚な利益供与が存在したと考えるのが普通である。問題はさらに重大だ。

また、「大勢での会食は控えてほしい」と国や都が求めている最中に、菅総理自身が8人の会食に参加した問題も同様だ。「申し訳ありませんでした」と謝ったことで、問題は解決したと言いたげな様子である。さらに突っこまれると、「あれはまだ緊急事態宣言が出る前のことでした。だから問題はないのです」とさえ言ったという。あきれ返るではないか。緊急事態宣言前に出ていた「5人以上での会食は控えよう」との呼びかけは、呼びかける側にはまったく無効力ということなのであろうか。

要は、問題行動を認め、その上で誤りさえすれば、すべては許される。一般人には許されないこのことが、政治家や高級官僚には特権的に認められていると言っているのである。

一般国民に対しては、コロナによる入院を拒否しただけで厳しい罰則を科すと、彼らは公然と言い、それを法律にさえしたわけなのに……。

もっといけないのは安倍前首相だ。いっさいの事実を認めない。だから謝ることさえしない。事実が発覚しそうになると、証拠書類をすべてビリビリ破って破棄するか、改竄しておいて、「ほら、証拠は何もないですよ。あるというなら、あなた方の方でそれを示さないといけません」と、お決まりの文句で平然としている。

ここまでくると、もうこれは歴史に残る世紀の大悪人だ。

罪は、認めて謝りさえすれば消えてなくなるものではない。これは当たり前のことだ。その当たり前が政治家や高級官僚には通じないのが、腹立たしくもあり、もどかしくてならない。

(2021年2月6日)



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