歯痛のぐるぐる回り

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1月に左下の歯ぐきが腫れて痛くてたまらず、いつも行っている歯科医で診てもらうと、歯の芯が膿んでいるとのと。細菌がたまっているというわけだ。その歯がちょうどブリッジを支える歯であったため、歯の芯に細い穴をあけて掃除するのにブリッジまで外さないといけないことになった。

そんなこんなで大変な処置となり、元に戻るのにひと月以上かかってしまった。

ようやく治り、もうこれで大丈夫かと安心していると、2,3日前から今度は右下の歯がそれに近い症状を呈し始めた。歯ぐきが腫れて痛くてたまらず、右で物が噛めなくなった。

実はここ1年ほど、左上も、右上も、次から次と歯が痛くなり、その都度治してもらってきたのだった。治っても治ってもぐるぐる回りの堂々巡りなのだ。

家内が言うには、これは歯周病菌が口の中に蔓延していて、一箇所が治っても、また別のところに移動して悪さをするのでは?とのこと。言われるとそういう気がしてきた。

ということで、家内がいつだったか歯科医にもらってきた抗生剤と痛み止めの薬を飲んでみた。痛み止めは気休めだが、抗生剤の方に期待を寄せた。これで歯周病菌を殺してやれというわけだ。

それが昨日のこと。たしかによく効いた。これがほんとに効いているのか、見かけだけなのかはわからないが、とにかく歯ぐきの腫れは消え、痛みもとれた。右で物を噛んでもまったく痛まなくなった。

歯科医に行かずに素人療法だけの薬で効いたのだ。今朝も念のためもう一度抗生剤を飲んだ。これでほんとに治ってくれれば言うことなしだ。はてさてどうなることか。しばらく様子見。

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春らしくなってきた。散歩の足も伸びる。昨日は80分も歩いてしまった。これはちょっと歩きすぎ。アミロイドーシスという難病を抱え、腎臓も人工透析寸前まで悪化している身としては、激しい運動は禁物だ。しかし、歩くだけならいくら歩いても負荷は少ないと自分で自分を納得させながら、田舎の山道を80分も歩いてしまった。

先日73歳になり、あと2年すれば「後期高齢者」といういやな名称までついてしまう身ではあるが、自覚症状としては悪いところはどこにもなく、軽いジョギングさえ、やればできる自信がある。自信どころか、実際ときどきやっている。

それにしても、後期高齢者、いやな言葉だ。いったい誰が造ったのだ、こんな言葉。寄り添う感性に乏しい無慈悲な官僚が考えだした形式主義的造語にちがいない。老人が増えたため分類が必要になったわけだ。

人生のお余り、世の掃き溜め、そんなムードが漂ってくる言葉ではないか。

そのうち老人がどんどん長生きして90を越える人が増えてくれば、ふたたび分類の必要上、90歳以上に対して「末期高齢者」などという、死刑宣告に等しい言葉さえつけられるそうな気がしてならない。「後期高齢者」も「末期高齢者」も、形式的にはただ状況を客観的に表した言葉にすぎないと言えば言えるのだが、そしてそれが官僚の発想なのだが、言葉がもつイメージとしては、あなたはもうこの世の中で不要な人ですよ、どうぞいつでもお亡くなりになってください、と言っているに等しいのだ。それに気づかないところが、形式主義に陥った官僚の無慈悲な鈍感というものなのだ。

この無慈悲かつ形式的な分類主義が、今の政府の独善性、独裁制の根源にありそうな気がしてならないのである。日本学術会議の人事に口を出した件についても、やはり無慈悲と形式主義が背景にひそんでいるように思えてならない。そこから生まれてくるのは冷徹な独裁である。相手の心を思いやらないという点では、菅首相は徹底しているように思う。

政府の政策は結果がすべてだという人がいる。だが実はそうではない。寄り添う心がどれだけあるか、それが大事なのだ。国民に、中でも弱者に、思いを寄せた政策かどうか、それが大事なのだ。その結果うまく行けば万々歳だし、もしも思い通りの結果が出なかったとしても、国民はそれなりに納得するだろう。

ところが実際に政策を立案している(ないしは許認可作業をしている)今の官僚は、弱者どころか国民にも目を向けていない。まさかそれはないだろうと思っていたが、徐々に実態が明らかになってきた。

どこに目を向けているのか。もう言うまでもない。第一に官邸、中でも首相。その根源の動機は自己保身と昇進である。第二には、許認可や利益供与でつながっている企業のトップ層。これは接待等による即物的利益もあるけれど、より根源的には、将来の天下り先の確保が真の動機であるように思えるのである。やはり一種の自己保身と言えるであろう。

これではもはや国民に一滴の慈悲も巡ってくる余地はない。官僚(特に上層官僚)は腐りきっていると言わねばならない。蛇足ながら、総務相の接待問題で名を上げた(?)谷脇氏は、私が教師を始めた第一年目の教え子である。45年ほども昔の話になる。

教師の身としても恥ずかしいかぎりだ。力量はあったとしても、自身の個人的利益を前にして心揺らぐようでは、もはや国民のしもべたる官僚の資格はないと言わねばならない。この「国民のしもべ」、彼らにはもうとうに忘れ去られている言葉かもしれないが……。

(2021年3月12日)


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