人生から「死」がつきまとって離れない歳になってしまった

なんだかうっとうしい曇り空だ。

白内障と黄斑変性の手術をしたのが2019年の秋だった。早いもので1年半になる。当初は出血があって何も見えなくなってしまい、これは大失敗ではないかと心配したり、もう一方の目は出血はないのに人工レンズの度がまったく合わず、これもまたほとんど何も見えないに等しい症状になってしまったりと、やはり事実上は主治医の失敗といわねばならない状態が続いた。

さいわい片方ずつの処置だったため、一方が見えない間も、もう片方でなんとか生活はでき、まったくの失明状態になったわけではなかった。

それから1年半が経った今、目はずいぶんよくなってきた。白内障の手術では人工レンズの焦点を好きな距離に合わせることができ、私の場合は一日の大半をコンピューターに向かっていることが多いため、それに合った距離、つまり50センチ程度のところに焦点を合わせてもらった。その意味では大成功で、今はまったく問題はない。

ただしその分、遠いところは少し見づらい。といっても、遠くがまったく見えないというのではなく、ときに裸眼であることを忘れて自動車に乗ってしまうことがあり、それでも大きな問題もなく運転するのだから、大胆なもの、というか見えているのは証明済みなのだ。手術前は近視が強く、とてもメガネなしで運転することなど考えられもしなかったのだから、大進歩と言える。

近くで(30センチほどで)本や新聞を読むときがやや不便である。だがこれも読めないのではない。古い文庫本や新聞縮刷本などは、あまりにも活字が小さくて、昔の人はよくもこれを読んでいたものと感嘆してしまうが、最近は活字が大きくなっているので、やはりメガネなしでもなんとか読める。

だが、老眼鏡をかけると、うんとよく見えて、読むスピードがまるで違ってくるのに驚くことがある。その老眼鏡というのも、100円ショップで買ってきたものや、妻が何かのオマケでもらったもので十分なのだから、安上がりなものである。

こんなわけで、1年半前にとてつもない目の大手術をし、後悔の日々をすごしたことがウソのようだ。今は日常生活を堪能している。そのころ主治医がこちらの心配をよそに、「時間が経てば治ってきますよ」と平然と言っていたのを思い出す。だまされているのではと、診察のたびに思っていたが、こちらの気苦労にすぎなかったことを知らされているこのごろだ。

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今もっとも心配なのが、血液のガンの一種、全身性アミロイドーシスだ。昨日が月に一度の診察日だった。不思議なことに、検査の数値は着々とよくなっている。もうあとわずかで正常値の範囲に入ろうとしている。信じられない好転だ。

病気が発見されたのは2016年。5年前の春だった。病名を告げられた日、主治医から冷徹な統計データを見せられた。それを見ると、平均余命は2年ほどかと私には思えた(そこまではっきりとは主治医は言わなかったが、データがそれを物語っていた)。

実際、家に帰ってwebであれこれ調べてみると、「平均余命は2年」とか「処置をしても予後不良」とか、不吉な言葉がこれでもかこれでもかと並んでいた。未来がもうないことを知った私は、この歳になって本気で泣いてしまった。

全身性アミロイドーシスは、2017年秋の「造血幹細胞の自家移植」という手術が功を奏し、さらにその後の抗がん剤がよく効いてくれたためか、よくなってきた。主治医の努力や妻の献身に大感謝だ。

ただし、それから波及した(全身性とはそういう意味だ)腎臓病の方は、時とともに着々と悪化している。腎臓病はいったん悪化し始めると決してよくはならず、悪化の一途をたどるのだと、腎臓内科の主治医にずいぶん前から脅されてきた。それにしては長く保っている方かもしれない。だが予感では、長くともあと1年の内に、人工透析という想像するだけでも堪えがたい生活に入ることになるだろう。

週に3回、1回あたり4時間という人工透析だ。だがそれを続けながらも、20年間元気に働いている知り合いもいるから、「できれば親父と同じ90歳までは生きたい」という目標は必ずしも夢とばかりは言えないのかもしれない。

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昨日はそれに加えて、なつかしい人に病院で出逢った。現役時代の同僚教師だ。気の合う仲間の一人だった。顔かたち、話しぶり、考え方の基本方向、そういったものは10年前とちっとも変わりがない。だが、腹がでっぷり太って、まさにタヌキ腹になっていたのが驚きだった。

彼はかかりつけの町医者から「心配な状態が考えられるので県病院で精密検査を受けてもらってください」と、紹介状をもらって、昨日始めて来たのだとのこと。男がよくかかる泌尿器系の病気だ。

大したことがなければよいと思う反面、今後どちらが長生きするか競争しようと、人生の競争相手ができたような意欲が湧いたのも、不謹慎ながら事実であった。

私の母方の祖父も、もう45年も前のことになるが、同僚と同じ病気で死んだのだった。そのときの苦しみをぼくは覚えているし、またぼく自身の死も、あまり前例のない難病ではあるが、だいたい想像がつく。死にざまの安らかさも含めて競争をしようと、なんと不謹慎なことを考えてしまったことか。

それだけ心安い友人だということなのだ。

人生から「死」がつきまとって離れなくなってしまった。人生のたそがれ、そういう歳なのか。ああ、なんと悲しいことか。

(2021年3月16日)

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