解体されていく家、義父の膨大な作品群

妻の実家に住む人がいなくなってもう20年になる。我が家から遠くないから、散歩のついでによく見回ってきたし、義父が残した作品(水彩画、版画、書、俳句、川柳、焼き物など)をついでついでに持って帰って飾ったりもしてきた。

ぼくら夫婦も歳をとってきたし、都会に住む娘夫婦にあとのことをまかせて死ぬわけにもいかないだろうと、ついに手放すことにした。買い手がつき、とうとう本当に家の解体が始まった。

主に二棟あり、一つは母屋、もう一つはおそらく藩政期に建てられたと思われる納屋。納屋は改造されて義父のアトリエになっていた。

いよいよすべてが露と消えることが決まって後、義父の作品を可能なかぎり我が家に運ぶことにした。運び始めて驚いた。何という作品の分量だろう。これまで本気で探してもいなかった押し入れの中や箱の中から、わんさわんさと出てきたのだ。

分量に驚くというよりも、それを書いた(描いた、作った)創作意欲の旺盛さに驚いた。たしかにぼくの記憶にある義父は、食事時を除けばたいていアトリエにこもって、いつも何かを描いたり、彫ったり、書いたりしていたのだった。そこから膨大な作品が生み出されていたわけだった。

もちろん個展を開くこともしばしばだったから、ただ埋もれるためだけに書いたり、描いたり、彫ったり、作ったりしていたのではないのだが……。

ぼくも退職後、ここ10年ほど水彩画教室に通っているが、たしかに義父の方がうまいなと、出てきた作品を眺めながらつくづく思う昨日、今日である。

なんにしろ芸術というのはのめり込まないといけない。のめり込むことと合わせて、感性だ。感性はある意味、持って生まれたものでもあろう。磨けば光りはするだろうが、光る根本の玉は持って生まれたものだろう。

のめり込み、感性、いずれにおいても、ぼくなど義父の足元にも及ばないなと、義父が天に昇って20年も経った今、ようやく気づかされたわけである。73歳にもなってようやく気づかされたのである。

しかし、気づいただけでもよかったな。残された人生があと何年あるかわからないけど、その間、のめり込むことと、ちっちゃなちっちゃな感性の玉を磨き続けること、この二つを義父に倣って続けたいなと、今ごろになって意欲を昂ぶらせているぼくなのだ。

アマゾンのKindle本(Kindle Unlimited)に、つい先日、「旅立ちの瞬間(戦火をくぐった父と母)」を登録しました。興味がおありの方はぜひダウンロードして読んでみてください。

(2021年4月6日)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント