原始の人間のDNA

私のように70を超えた年寄りで、しかも持病をいくつも抱えて免疫力の弱い人間がコロナにかかったら、これはもうひとたまりもない。

そう思ってこのところ、極力、人の集まるところには行かないことにしている。外に出るといったら散歩くらい。一日4,50分の散歩が唯一の外出。

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わが家の子ネコ

おもしろいもので、別に何時になったら散歩に出ると決めているつもりはないのだが、窓から見える外光の具合などで、「さあそろそろ行こうか」と衝動が体内を走る、その時間というのが、空が夕焼けに染まるころ。だから、時間は日とともに少しずつ後ろにずれていく。

そして、何がおもしろいかというと、いつも散歩で出会う顔見知りが何人もいて、「こんにちは」と声をかけ合う以外、どこの誰とも知らないのだが、その人たちと、決まって同じ地点ですれ違うのだ。ああこの人とはここで、またあの人とはここでと、互いに思わず笑い合ってしまうほど、同じところで出会うのだ。

これが意味するものは、「さあ散歩に出よう」と体内に衝動が走るきっかけが、誰にとっても、少なくともぼくらと同年代の年寄りにとっては、まったく同じ「空の明るさと色」なのだということだ。決して無機質で味気ない時計の時間ではないということだ。

空の明るさと色のわずかな変化、微妙な変化が、「あっ、今だ」と、ぼくらを散歩に誘う。これは時計の秒針くらい正確で精妙なのだ。

日中はたいてい、机に向かい、パソコンに向かって仕事をしているぼくなのだが、ときおり窓から外を見て、この微妙な変化に気づくことになる。すると、散歩仲間たちも、ほぼ同じ頃、同じ変化に気づいて、そろそろ行くかとなるわけだ。

この同調性は、原始の人間がDNAに組み込んでくれた名残のような気がしている。都会の人間、現役で働いている人間は、時計の時間で動いている。しかし、現役を引退し、自由を手にした人間は、原始の人間のDNAをふたたび取りもどすのだ。時計に縛られず、大自然の変化を身に感じて生きていくようになるのだ。

おもしろいものだ。つくづく思う。



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