テーマ:エッセー

「表現の不自由展・その後」の中止事件に思う

芸術作品というものは、文学・絵画・彫刻・造形・デザイン・音楽・映像・演劇・バレエ・ダンス・パフォーマンス等、なんであれ、それが表現するものには、創作者・演技者の何らかの意図がこめられている。また、鑑賞者がその作品から受け取る「何らかのもの」も個人によってそれぞれ異なり、当然ながら創作者・演技者のそれと一致しなければならない理由はなく、異…
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黄斑変性と白内障の手術をすることに

歳をとると、思わぬところに不具合が生じる。つくづく思う。 ボクは目をやられてしまった。たぶんここひと月以内のこと。視力が極端に落ちてきた。元々遠近両用メガネを使っていたが、、それで当たり前に見えていた壁のカレンダーの数字が、最近読めなくなってきた。出窓に置いているデジタル時計の数字も、今までくっきり見えていたのに、このところ妙な具…
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参院選に思う。若者よ、ああ。

一年ぶりです。この間、月に一度の抗ガン治療によって、病状は格別よくもならないが、悪くもならず、これならボクにも「老後」というものがあるのかもしれないと、先行きに少し明るいものが見えてきたこのごろです。 追々と日々の思いをまた記していこうかと思えるようになってきました。 先日、高熱が出て3週間ほど入院したのですが、そのとき、治…
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死に向き合った日々

 全身性アミロイドーシスという、血液のガンの一種とされる不治の病を宣告されて2年あまり。この間、幸運に恵まれた一部の先例を見ては、長生きできるかもと楽観したり、ひっそりと亡くなっているはずの多くの患者のことを思っては悲観したりと、気持ちの揺れは日々激しい。  だが、近ごろ、生と死に関して達観できる境地になってきた。いま私は70歳を…
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生かされて生きている

 全身性アミロイドートスと告げられて、そろそろ丸2年だ。  あのころぼくは、ひたすら元気だった。ほんとに懐かしいよ、あのころが。ほんとに、ほんとにね。知らぬが仏で、毎日、城山に登り、プールで泳ぎ、ウオーキングを楽しんでいたんだから。なんだか遠い昔に思えるな。  病気だと知らされたのは、まったくもって偶然の賜物だった。そう、賜…
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とにもかくにも生きている

前回のブログが2016年2月25日。2年あまり前だ。あれから思わぬことがいろいろ起こり、ブログは休止状態になっていた。 一つは、中学時代からずっと私の囲碁の師匠でありつづけた母方の叔父が、前回のブログのわずか2日後、96歳で大往生を遂げたこと。そのこと自体は、十分に生き尽くした後の往生だから、別に大きなショックではなかった。しいて言え…
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月の沙漠

前回、『船頭さん』の童謡を引き合いに出した。 童謡で思い出すのは、『月の沙漠』だ。三歳になるかならないころだろう。母が歌って聞かせてくれた。 ぼくが人生で初めて聞き覚えた童謡、とまで言ってよいのかどうかは知らないが、幼い心に最初に響いた童謡と言うなら、まちがいなく『月の沙漠』だ。 母の膝の上で、母が開いてくれる絵本を眺めながら、母…
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おれ、年寄りだよな

もう3年も更新していなかったことになる。つい先日、68歳になった。歳月の早さに驚く。年寄りのたわごとを再開しようかと思う。 と書いて思った。3年前まで、自分を年寄りだと自覚することなどなかった。だのに、わずか3年経ったにすぎない今、いとも自然に「年寄りのたわごと」などと書いてしまう。なんとしたことだ。 自分を思わず知らず「年寄り」に…
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悩みと迷いの青春時代

 昔の日記を読み返し、何かのときのためにとデジタルデータ化する仕事をふたたび始めた。  ぼくの日記は、今も残されているものとしては中学1年の正月(1961年1月)に始まる。そこにぼくが書いているところによれば、もう一冊、その前身のノート(手帳)があったらしい。それは小学6年から始まるもののようで、たしかに言われるとそういう手帳をもって…
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映画『あなたへ』に思う

 勤めていた頃は、映画館に映画を見に行くなんて、年に一度もないことだった。それが、退職すると不思議に映画好きになり、シニア1000円という魅力もあって、最低でも月に一度は見に行く。  月に一度で映画好きとはおこがましいと言われるかもしれないが、ぼくにとってはけっこうな頻度だ。久しく忘れていた妻とのデート、ときめきのデートのような気分を…
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満足は自分が決める

 ずいぶん長く更新していなかったが、いろいろなことがあった。  個人的なこと、対人的なこと、自分を見つめ直すこと、過去をふり返ること。  あまりに多くのことが一気に身の回りを流れていったものだから、ここに書き尽くすこともできないし、その気にもなれない。  しかしまた、ぽつりぽつりと今の自分の心境や生活を語る生活に戻りたいと思う。6…
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二十歳のかけら

 まあ一応文芸書と分類できる本を、出版まであとひと月というところまでこぎ着けました。お読みいただけるとありがたいです。タイトルは  『二十歳のかけら 京大生青春日記1966-1971』。  少年期・青年期を60年代に重ね合わせて生きた若者の日記風物語です。  展開されているのは、実に弱い一人の若者の挫折につぐ挫折の物語。恋で挫折し…
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くりかえしのこと

 くりかえし(周期性)とはもちろん、一定の(時間)間隔で同じパターンがくり返されること。数式で書けば f(t+a) = f(t) がすべてのtで成り立つことであって、aがその周期である。  周期性の対極にランダム性がある。  くりかえしが約束されている現象は、待っていても苦ではない。毎日同じ時刻に郵便配達がやってくる。それを待つの…
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腸(はらわた)

 連句をイメージしたリレー短文を思い立った。五七五七七にこだわらず、短文の連想リレー走をしようというのだ。  スタートのお題は「腸」。  「腸」を訓読みすると「はらわた」だという。少々変だ。概念図が一致しない。腸ははらわたの一部にすぎないではないか。  そこで、「はらわた」を広辞苑で引いてみる。(1)腸、(2)臓腑とある。つまり、…
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教えることと学ぶこと

「あの先生ダメだよ。Aさんの絵を見ても、ほー、これはいいねえ、Bさんの絵を見ても、そうこれがいいんだよ。結局どれがいいのかちっともわからない」 「先生は、人それぞれの個性を伸ばそうとしているのじゃないのかなあ。芸術というのは、良し悪しを一つの基準で決めてしまえるようなものではないんだから、結局はその人の持っている特性をいかに伸ばす…
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人の死のこと

 何日もうっとうしい雨が続く。  つい先日,幼いころからの友人の死に遭遇し,死について少々考えさせられたかと思ったら,1週間もたたぬ間に,また一人の死に直面した。  教会の仲間だった。11歳年上の75歳。  目立たぬが,本の好きな物静かな人で,ぼくのあこがれのお兄さんだった。  二週間前,あるグループの会合で一緒になり,隣の席で…
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ラストエンペラー

 愛媛県美術館で行われている故宮博物館展を見た。  美術館友の会の会員証を見せると無料になったのが、まず驚きだった。多少は割引してくれるかな、というくらいの気持ちで見せたのに。  次に驚いたのは、人の多さ。公衆浴場の混雑ぶりを「芋を洗うような」とよく言うが、その言葉がぴったりなまでに、フロアに人があふれていた。  行列がいっこうに…
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クマゼミの秘密 ──退職者の特権──

 退職して一年半。散歩しているとホントにいろんな人と出会い、すれ違う。  よほどでなければ立ち話はしない。「あっ、いつも会う人が来るな」。向こうから歩いてくる姿を、見るともなく視界に入れるだけ。そして、すれ違うだけ。小さく会釈して。  あるいは、反対側の歩道を、互いを視野の隅で確認しながらしばらく同じ向きに歩くだけ。  それだけの…
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テニスコートの記憶

【テニスに夢中】 ぼくはある時期、そうだ、今となってはある時期としか言いようのない過去完了のある時期、テニスに夢中になっていた。持病が突如最悪の事態を引き起こし、倒れ込むように入院してしまうまでの20年間ほどだ。持続したその期間を、今や「人生のある時期」と言わねばならないのは、年を重ねた人間の宿命とはいえ、つらい現実にちがいない。 …
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古時計の話

腕時計、柱時計、置き時計、目覚まし時計。いまわが家にいったいいくつの時計があるのだろう。数えたこともない。数えようとも思わない。動かなくなった時計も数かぎりない。捨てられることもなく、引き出しの奥に眠っている。そして忘れ去られている。 いつだったか、もう20年以上も前のこと。五月晴れの日曜日、受け持ちのクラスの生徒が大挙してわが家…
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新鮮な体験

先日、好天に恵まれて、ぼくが通う教会でバザーがあった。 どの年も、たいていぼくはコーヒー係をやってきた。大型のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、熱湯で温めたカップにコーヒーを注いでは、チケットと交換にコーヒーを差し出す。小さなケーキも添えて。それがぼくの仕事だった。 一度、ぜんざい係をやったこともある。大きな鍋で小豆を煮、切り餅を網…
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地球儀の歌

地球儀には懐かしい思い出がある。 小学4年生のとき。 ぼくが母に「地球儀がほしい」と言ったのだろうか、それとも母が「地球儀を買ってあげよう」と言ったのだろうか。おそらく前者だ。家には経済的なゆとりなどなかったのだから。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ わが家の近所は、ほとんどが職人の家で、地球儀など置いている家は…
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悲しき地球儀

地球儀。 たいていの家庭に一個はありそう。小学生の子供に学習用に買ってやる親が多いだろうから。 でも、買ってはみても、子供も親も、地球儀って、あまり見るものではない。見るというか、使うというか、とにかくあまり利用するものではない。 部屋の片隅で埃をかぶって忘れられているケースの方が多そうだ。 なぜそういうことになるのだろう。…
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超人を超える

先日、「超人性」 で、一日4000句と書き、もはや乗り越えられない記録、と書いたのだが、調べてみると、西鶴はその後、自ら記録を更新していることを知った。 一日23500句という、とてつもない記録を作ったのだ。 本当だろうかと、疑いの目で見てしまうが、大観衆を前にした興業であって、まちがいはない。芭蕉の弟子である其角も、そのと…
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鐘の鳴る丘

先日見た映画『君の名は』。その原作とも言えるラジオ放送は、1952年4月から1954年3月まで、丸2年間続いた。空前絶後の国民的大ヒット番組であった。 放送が流されていた2年間は、いま思うと、ぼくの4歳と5歳の2年間だ。今風に言えば、幼稚園年中組と年長組。 父と母が熱心に聞いていたそばにぼくもいて、話の中身などわかりはしないが、一緒…
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君の名は

今日、松山市映画祭で、岸恵子の「君の名は」と「おとうと」を見た。 『君の名は』 何と懐かしい響きだろう。この言葉を聞くだけで、ぼくの胸は高鳴る。 幼いころラジオからしょっちゅう流れてきた主題歌は、すっかり耳にこびりついて、ぼく自身の一部に同化している。 今日、映画の冒頭でいきなりその曲が流れ、ストーリーが始まらないうちから、…
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超人性

井原西鶴という人。「好色一代男」などで有名だが、若い頃はプロの俳諧師。 といっても、同世代の俳人である芭蕉のわび・さびなどとは比較のしようもない、世俗的で軽々な句しか残していないというのだが……。 すごいのは、大矢数(おおやかず)という、一種の催し。 寺の境内かどこかに数千人の聴衆を集めて、一日24時間ぶっ通しで、4000句の…
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がんばってる? 菅直人さん

昨年夏のあの民主党大躍進と政権交代。国民の期待を一身に背負って成立した内閣。 あの燃え上がった火は、いったいどこへ消えてしまったのだろう。 やることなすこと、後手後手。そして決断の先延ばし。ずるずると何もしないまま、あてどなく漂う日本国政。 ぼくだけではないだろう。誰もが感じている失望感と先行き不安。 かといって、自民党…
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明日の朝、神様がいらっしゃるよ

先日、叔母を訪ねたとき、 「NHKのラジオ深夜便で流れている『明日の朝、神様がいらっしゃるよ』という歌、子供の声で、すごくかわいらしくて、いいのよね」 と聞かされた。 「私はもう歳で、録音することもできないから、Kちゃん、一度聞いてみて、録音したらいい。」 とも。放送時間を尋ねると、 「歌がかかるのは0時台か3時台」 平気な…
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義弟よ

 義弟よ。君が逝ったのは、昨日の朝3時28分。ベッドのそばで最期を看取った妻から電話があったのは6時。静寂の中に鳴り響いた電話のベルに、受話器を取らぬうちからぼくには事態が察せられた。ついにその時が来たようだ。早打つ鼓動を押さえつつ、受話器を取った。君の死を告げる妻の声は静かだった。  ぼくが君を最後に見舞ったのは4月半ばだったね。 …
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