クマゼミの秘密 ──退職者の特権──

 退職して一年半。散歩しているとホントにいろんな人と出会い、すれ違う。
 よほどでなければ立ち話はしない。「あっ、いつも会う人が来るな」。向こうから歩いてくる姿を、見るともなく視界に入れるだけ。そして、すれ違うだけ。小さく会釈して。
 あるいは、反対側の歩道を、互いを視野の隅で確認しながらしばらく同じ向きに歩くだけ。
 それだけのこと。ホントにそれだけのこと。だのにそれで、その人の人生が垣間見えるから不思議だ。想像にすぎないと言えば言えよう。でも、きっと真実の何かがそこに見えている。それはたしかだ。
 仕事の場や公の場では見せない、人それぞれの裸の内面が、散歩の顔には表れるから。

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 老犬を連れて散歩しているときには、ことさら周りがよく見える。
 老犬とは、十五歳をすぎた雑種の中型犬ピーのこと。ここ一年ほど、めっきり老けて弱ってきた。去年までは先へ先へとサッサと歩いて、近所のがんセンターの生け垣の、腰くらいの高さの土塁の上にいとも簡単に飛び上がったもの。何百メートルも続く土塁の上を、ウバメガシの枝葉の張り出しをうまくよけながらずんずん歩くのが好きだった。枝が土塁を塞いでしまって、もはや先へは進めない地点に来ると、首をひねって一瞬考えた後、ひらりと身をひるがえして飛び降りたものだ。
 今はもうそんな雄姿は夢のまた夢。歩くことすらいやがる。
 昼間はひたすら眠っていて、人の気配がすると、億劫そうにかすかに目を開ける。
 とはいえ、足腰が弱るにまかせてはおけないので、夕方になると必ず散歩に連れ出す。
 こちらがいらいらするほどゆったりとしか歩けない。
 そのゆったりさ故に、ぼくはさまざまな観察ができる。

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 八月、セミの鈴なりを見つけたのは、ピーとの散歩の際だった。街路樹の桜の木からセミの鳴き声が聞こえ、その主が見つかるはずもなかろうがと思いつつも、ふと木を見上げてみた。ピーがゆっくりなものだから、ぼくもゆっくり探すことができる。
画像
関係ないけど、孫と集めたセミの抜け殻

 最初は幹と葉っぱしか見えなかった。セミのパターン認識が頭の中にできていないものだから、識別できるのは幹と葉っぱだけだった。
 鳴き声がするあたりに目を凝らしてみる。そして、ついに発見した。「シーシーシーシー」という鳴き声と、羽が透明なことから、クマゼミだ。
 その瞬間、セミ捕りに夢中になっていた子供のころに帰った。見つけた喜びに心が踊る。
 じっと見つめているうちにセミの形状が頭の中にパターン化されたのか、識別眼がつき、次の瞬間、あっと驚いた。
 何と、その一匹だけではない。幹にびっしりセミが貼りついている。
 樹皮と同系色のため、はじめは気づかなかったが、気づいてみれば、ざっと数えて十数匹。見えない葉陰を含めれば、もっといるだろう。そのほとんどは太い幹にとまっている。密度は十センチあたり一匹といったところ。
 あそこにも。あっ、ここにも。またあそこにも。
 もう鈴なりだ。手の届く高さにもいる。
 中に一匹、今まさにゆっくりと這い上っているのがいた。しかし、ほとんどは死んだように動かない。手でさわれば、さすがにおしっこでも振りかけて飛んで行くかと思いきや、触っても動かない。鳴きもしない。

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 これはいったい何事かと、心臓が止まる思いがした。
 交尾をすませたあとの力尽きた姿なのだろうか。セミは何年も何年も土の中ですごし、地上に出ればひと月もしないで死んでしまうという。繁殖相手を見つけて交尾するためだけの成虫期間らしい。
 そういえば、ハチの中には、成虫になるやいなや交尾して、食べるという個体維持の努力すらしないで死んでいくものがいると、たしかファーブルの『昆虫記』で読んだ気がする。

 そんな宿命を負ったセミの、いわば集団自決の現場なのだろうか、この木は。神秘の念に打たれた。
 ひょっとして、その一本の桜の木だけが特殊なセミの墓場なのかとも思い、歩道に並んでいる桜を次々に点検してみた。
 あっ、いたいた。どの桜にも鈴なりになっている。少ない木で七、八匹。多いのは二十匹ほど。そしてどれも決まって動かない。死んだようにじっとしている。触っても動かない。
 こうなるとさすがに墓場とは思えない。考えられるのは、地中から出てきたばかりのセミが行儀よく並んでいるところか。でも夕方だ。ぼくの感覚では、セミは朝早く地中から出てくる。そう信じていた。
 それに出てきたばかりのセミなら、近くに抜け殻があってもいいはず。それがない。

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 あれから一月半、幻のように思い出すが、やはりあのセミたちは死の寸前だったのだと、今は考えている。
 はたして交尾の相手はいたのだろうか。それもわからない。
 木に貼りついたまま死んでいたのかもしれない。息はあっても、間近に死の運命を背負っていたのはたしかだろう。その証拠には、数日後、木の下にセミの死骸がいくつもころがっていた。ピーがその一つをうまそうに食ってしまった。多くはまだ木に止まっていた。

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 セミとヒトと、同じ空間に棲んでいながら、まるで関わりなく生きている。それぞれの生活圏と行動原理を守って争わない。競合しないから、そのまま生きていける。
 セミはひょっとして、ヒトの存在に気づくことなく生涯を終えるのではなかろうか。
 ヒトもまた、セミの生活行動に気づくことなく、同じ町に同居している。あの激しい鳴き声をすら、「静けさや」と、ほとんど気にも止めず生きている。

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 そのセミたちの実存性を眼前に引っ張り出してくれたのは、老犬ピーだった。「おいおいお前、そんなに急がなくてもいいだろう」と、ぼくにカタツムリのような歩きを教えてくれたのだ。
 普通に歩いていたら、決して気づくことのなかったあのクマゼミの鈴なり。「生きてきてよかったよな」と、ピーはぼくにウインクしていたかもしれない。

 散歩を通した人との出会いも、これと本質はちっとも変わらない。
 せかせか生きていた現役時代には見ることのなかった世界を、今ぼくは見ている。これぞ退職者の特権か。

(2011.10.8)

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