くりかえしのこと

 くりかえし(周期性)とはもちろん、一定の(時間)間隔で同じパターンがくり返されること。数式で書けば
f(t+a) = f(t)
 がすべてのtで成り立つことであって、aがその周期である。
 周期性の対極にランダム性がある。
 くりかえしが約束されている現象は、待っていても苦ではない。毎日同じ時刻に郵便配達がやってくる。それを待つのは心楽しいことだ。そろそろ来るぞという期待感が嬉しい。
 ところがランダムだと、なかなかこうはいかない。心待ちにしている友人からの手紙が、いつ来るのかわからないのは辛い。前回はこちらが出して3日後にやってきた。だから今度も3日後だろうと待っていると、いっこうに来ない。4日たっても、5日たっても、10日たっても来ない。こんなのを待つのは苦痛以外の何物でもない。
 遠くの寺で参拝者が鐘を打つ。これもたぶんランダム現象だろう。次はいつゴーンと鳴るだろうと気になりだすと、とても集中して仕事ができないなんてこともあるだろう。

 一見話が変わるが、近頃、車が人の列にぶつかって死傷者が出るという事故が相次いでいる。居眠り、考え事、テンカンなど、理由はいろいろ言われている。本当のところ、よくはわからない。が、とどのつまりは、運転者が今やっていること(つまり運転)に集中できていないということに行き着くのだろう。故意でないかぎりは……。
 衝突という重大事故にいたるその瞬間まで、加害者は自己の身体を伴って進行している現実そのものから意識をそらしているのだ。現実を離れた仮想空間の中に意識が漂っているのだ。人間存在の最も基本的要素である身体性を、大脳のみならず、反射にかかわる即自的神経器官すらが、忘れてしまっているのだ。端的に言えば、生物的には生きていても、それを包む現実空間を生きていないのだ。

 なぜこういう現象が多発するのか。考えてみると、いくつか思い当たる。
 一つは、現代性の象徴であるIT社会、インターネット社会には、一個の人間の中で本来統合されているべき身体と頭脳とを乖離させる作用がひそんでいるという事実。インターネット空間になじんでしまうと、仮想空間と現実空間の境界が曖昧になり、ことさら現実空間を意識しなくても日常生活が成立してしまうという、仮想性のこわさが表面化してくるのではなかろうか。そういう生活になれっこになると、いま目の前で起きている現実への身体的対処すら忘れてしまう危険性がある。まるで胡蝶の夢である。夢とうつつと、どちらが現実なのか区別がつかなくなるのだ。

 もう一つは、最近とみに気になることだが、テレビ番組におけるコマーシャルへの切り替えのタイミングである。ググググッと視聴者の気を引きつけ、「さあ次は?」とわれわれに最高度の期待と緊張をもたらした瞬間、パッとすべてを遮断してコマーシャルに移る。そのテクニックはますます巧みになっている。
 これはもちろん、コマーシャル中に別のチャンネルに切り替えられないための心理作戦であるのはわかりきっている。しかし、それにしても、あまりにも巧みで、異常だ。視聴者の心を手玉にとって小馬鹿にしているというか、残虐な爪で心をかきむしるというか、とにかくひどすぎる。
 この残忍なかき傷が、ひょっとすると、現代を生きるわれわれの精神状況に異常をもたらす要因の一つになっているのではないかとすら思うのである。感情のストレートな高まりがいきなり奈落に突き落とされ、目の前にまったく無関係な光景が流れるという経験をくり返し味わわされているうちに、人の精神は何かしら傷やひずみを蓄えるにちがいない。
 心に豊かな許容量をもつ人や弾力に富んでいる人なら、その衝撃も数秒にしておさまるだろうが、中には引っかかれた傷を癒しきれず、ひずみを蓄えてしまう人もいるに違いない。
 蓄えられたそのひずみが、いつともなしに苛々の原因になったり、あるときふっと集中力が途切れたりする要因になることもあるのではなかろうか。
 コマーシャルによる感情の流れの容赦ない切断は、ボディーブローのように静かに着実に人の心にひずみを蓄え、あるときふっとそれが重大事故を招くような精神不安定として顕現化するということは、ありえるのだと思う。

 周期性の悪用なのだ、これは。人はコマーシャルがすめばまた元の画面に戻り、先ほどの緊張の続きに再突入できることを知っている。だから、我慢してコマーシャルを見るのである。だが、緊張と高揚の瞬間を迎えようとした矢先、すべてを無に帰すような不連続な断絶が外部から強制的にもたらされては、人は心に傷を残さないはずがない。
 真剣に見ていた子どもの心は、突然行き場を失って、集中力を乱すだろう。落ち着いた子どもに育つことを阻害しないはずがない。
「さあ、鞍馬天狗の運命やいかに」
 で終わって次週に続くという番組とは、心にもたらす影響は似て非なのだ。正反対なのだ。
 周期性は、心やさしい期待をもたらすもののはず。周期性を逆手にとって、やわらかい心を爪でひっかくようなやり方は、私の感覚では尋常でない。

(2012.4.28)

→マイブログ・トップへ  →坊っちゃんだよりへ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック