二十歳のかけらⅡ

 『二十歳のかけら』がようやく出版の運びとなった。数日のうちには全国の書店(といっても300店ほどにすぎないが)の書棚に並ぶらしい。
 ネット書店の方は対応が早いから、すでに5月末から注文可能になっている。

 嬉しいような、気恥ずかしいような、複雑な心境だ。
 本の体裁をなして以来、なかなか手に取る勇気がなく、先日ようやく読み直してみた。読みつつ、ああ馬鹿なことをしたなと、後悔に冷や汗がにじみ出る。
 ゲラ刷りの時点では気づかなかった明瞭な印刷ミスがいくつかある。
 その上、文章はつたなく、ぎこちない。
 ああ、悲しいかな。出版をあせらず、空白期間をおいてゆっくりもう一度手を加えるべきだった。

 とはいえ、読み終えた後にはそれなりの充実があった。「価値ゼロか」との不吉な予感はなんとかくつがえされ、軽い軽い、ほんとに軽い安堵を覚えた次第ではあった。
 自分で言っちゃ笑いものですね。

 『二十歳のかけら』にいくばくかの価値があるとすれば、それは前回も書いたように、弱くてもろい一人の若者の、弱さをむき出しにした生きざまにあろう。自分の弱さをとことん自覚し、それを宿命として受容しつつも、強く生きよと自分に必死で言い聞かせる彼。ついには、もろい地肌を強がりという泥で塗りたくるのだが、執拗に襲いかかる荒波の前には、それはむなしい泥舟にすぎない。
 待っているのは挫折感と落伍者の悲哀のみ。60年代という学生運動の高揚期に、恋で挫折し、学問で挫折し、運動そのものにおいて挫折する彼。
 起き上がることもできないまでに打ちのめされた彼が最後に見たものは、回帰であった。外からは見えない、内なる回帰であった。
 傷つきながら這い上がった彼の目に、他人から見れば何の変哲もない、だが彼にとっては新奇で斬新な地平が開けてくる。

 とまあ、こういった主題の物語です。たどたどしい筆でつづられた日記物語です。
 はたして読む価値があるのかと問われると、著者自身がうーんと首をひねる。何ともおぼつかない作品です。とはいえ、一度手に取り読んでいただけると幸いです。
 ああ、またまた自己宣伝になってしまいました。

(2012.6.1)

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