悩みと迷いの青春時代

 昔の日記を読み返し、何かのときのためにとデジタルデータ化する仕事をふたたび始めた。
 ぼくの日記は、今も残されているものとしては中学1年の正月(1961年1月)に始まる。そこにぼくが書いているところによれば、もう一冊、その前身のノート(手帳)があったらしい。それは小学6年から始まるもののようで、たしかに言われるとそういう手帳をもっていたと、かすかな記憶がある。だがその手帳、今はおそらく跡形もなく灰になっていることだろう。
 中学1年から大学卒業までをすでに入力していた。特に大学時代の分は、その恋愛的側面だけを抜き出す形で、『二十歳のかけら』という本にして、この夏出版した。人に自信をもって薦められる本でないことが、著者自ら大いに残念なことなのではあるが……。
 まあしかし、悶々と悩み、苦しみ、迷った青春時代の証しとして、自分自身への懺悔の気持も込めて出版したのであった。

 今ふたたび入力し始めたのは、大学卒業後の、東京・府中におけるNEC時代からである。
 会社にぼくは結局4年間いた。その間もまた、大学時代にまさるとも劣らぬ、いやそれ以上の、しかも大学時代とは質の異なった、悩み、苦しみ、迷いの道にはまり込んでしまった。
 今読み返すと、壁に頭をぶつけては必死に生きる道を探る自分が、哀れで、切なく、もうほとんど「勝手にしてくれ」と言いたいほどの落ち込みよう、泥沼の深さである。
 同期で会社に入り、同じ部(コンピュータの基本設計部門)に配属された人が20人ほどはいたと思う。その中には、仕事を生き甲斐とし、それこそが人生だと言わんばかりにバリバリ働く人もいれば、仕事と自分の生き方との間にしっくりしないものを感じて、仕事に没頭できない人もいた。
 ぼくは当然のごとく、後者であった。落伍者であった。仕事は仕事として割り切って会社には行くが、人生の目的を別のところに求めつづけていた。求めざるを得なかったのだ。
 怒濤のような組織の流れに身をまかせることのできないぼくは、小さく引きこもり、しかし内面では、自立の道へと、自己完成の道へと、大きく羽ばたく夢をもち、その思いに支えられながら必死に読み、考え、そして結果は深い陥穽に落ち込んでいった。
 逐一の日々のその過程を日記にたどるのは、今のぼくにとって苦痛以外の何ものでもない。当時はなりふりかまわず必死だったから、逆に身の痛みはなかったのかもしれない。
 40年の歳月をおいて今読み返すと、かえって痛みがじかに伝わってくる。読むに堪えない気持になる。
 そして、そんな自分があったのかと懐かしくもなり、よくもまあその泥沼から這い出して今を生きていることよと、感心もし、信じがたい気分にすらなる。
 みじめで悲惨な自分ばかりが日記から読みとれ、悲しく、切なく、消え入りたいような気分になる。
 何と馬鹿なことに悩み、地面から足を離して空想に走り、ありえようもない夢を追い、周囲との間に自ら壁を作り、孤独の中に埋没していたことか。

 そんな過去の自分を、実を言えば昨日まで、ぼくは後悔と慚愧と軽蔑の思いで見ていた。冷や汗をかきながら読んでいた。悲しすぎて、正視するに堪えなかった。
 しかし、ふと気づいた。
 迷いの中にあることが、人を輝かせるのだと。迷い抜くことで、ぼくという人間が輝いていたのだと。卑下する必要はさらさらないのだと。
 人は悩み、苦しみ、迷うことを通してのみ、高みに登ることができるのだ。それのない人は平地にとどまったままである。平地にあって、高みを知らないままである。悩むこと、迷うことを引け目に感じることはないのだ。
 迷いがなくなれば、人は死んだも同然なのだ。淡々と惰性で平地を歩くだけの人間になってしまうのだ。
 そうなったときの日記ほど、おもしろくないものはないのだ。
 そうなったときの人生ほど、おもしろくないものはないのだ。
 それにふっと気づき、その瞬間、過去の自分を許せる気持になった。青春時代のぼくを許せる気持になった。いとおしくすらなった。
 他人に対しては、悩み落ち込むことで成長するんだとか、平気でこれまで言ってきたのだが、自分の青春時代をそのような寛容の目で見ることができたのは、今が初めてという気がしている。

 実を言えば、会社の中でぼくが例外者だったかというと、決してそうではない。ぼくのような生き方をしている人は周囲に何人もいた。みな、それぞれに悩みを抱え、それを自分一人の悩みだと信じて口外しないものだから、それぞれの内部でのみそれは深化し、はけ口のないままじくじくと膿んでいた。
 ぼくは4年で会社を辞めたのだが、ぼくより先に会社を辞めた人が同期の20人ほどの中にも、4,5人はいた。次への飛躍のステップをはっきり保証されて辞めた人はいないはずだ。悩みの果てに、耐えきれなくなって辞めたのだ。
 そのうちの二人とは、いまだに手紙のやりとりがある。一人は庭師の家業の跡継ぎとなり、もう一人は、転職の後にふたたびそこを辞め、畑違いの法学部に熟年入学し、ドクターをとって大学で研究生活に入った。長い放浪のはての夢の実現であった。

 ぼくも実は、NECにおける最後の一年の後には、京大文学部に学士入学(3回生から編入)するつもりでいた。その手続きも終えていた。そのつもりで余暇を利用して勉強もしていた。
 結果は、思わぬことから教師の道に進んでしまったのだが、その思わぬ事態が生じなければ、今のぼくはまったくの別人になっていたのかもしれない。
 一度しかない人生、波乱はどこまでもつきまとうものだと思う。

 教師になってからもぼくの悩みはどこまでも続き、結局、安住ということをぼくは知らないままで還暦を迎えてしまったように思う。教師になるところまで、まだ日記を読み進めていないのだが……。

(2012.9.7)

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