春近し、65歳は人生の春

 年が明けて、もうひと月。

 昨年秋から中断していたブログも、そろそろ再開できる心持ちになってきた。

 秋以降、何ともやっかいな、裁判という魔物に足を取られ、平常心を失っていた気がする。長年義弟とかぎりなく離婚に近い別居生活を続けていた義弟の妻が、義弟の死を機に、唐突にも、ぼくの妻を相手に民事訴訟を起こしたのである。何の罪を犯したわけでもないぼくの妻は、いきなり「被告」と呼ばれる身となった。

 夫としてサポートしないわけにはいかない。相手の訴状を精読し、事実関係のまちがいと、論理的問題点を洗い上げ、相手の主張に一点の正当性もないことを明らかにした。

 しかし、ぼくにできるのはそこまで。裁判の知識などぼくにはない。法廷闘争の実際は、知り合いの弁護士にお願いした。

 裁判は今もなお、一、二ヶ月に一度のペースで続いている。裁判には裁判の論理がある。ぼくにとって常識的であり、数学的でもある論理が、裁判の場ではストレートに通用しない場面があることを知った。

 結果がどう出るかは予測不能だ。だが、否定的にのみこの問題をとらえず、人生の得がたい体験をしているという積極的側面から今回の事態を受け止めようと、常々妻と話しているところである。

 実際、ぼくたちは今、人生において滅多に経験し得ない、いやおそらくは生涯ただ一度であろう、特異な体験の渦中にある。少々高額な体験料を支払って。


 互いの距離が近ければ近いほど、いったん信頼を失ったときの憎しみは大きい。夫婦、兄弟、場合によっては親子の間ですら、この種の事例は枚挙にいとまがない。

 今回の事案は、「互いの憎しみ」には属さない。まったく一方的で、しかも、的はずれな思い込みによる「憎しみ」である。論理以前の憎しみである。それが、途方もない金額の請求という形で具象化した。

 信じがたく狂っているのだ、すべてが。


 まあよい。春近しだ。ぼくの好きなロウバイが、道々、えもいわれぬ芳香を漂わせている。鼻をくっつけると、すーっと蘇生の気が体内を駆け巡る。瀕死の境にあっても、ロウバイの香をかげば、きっと生き返る。


 いよいよあとひと月で、ぼくは65歳。シニアからシルバーへと、序列の階段を一段上る。いつもよく行く郊外の温泉は、65歳になると、400円から300円に値引きされる。

 松山の独占的私鉄である伊予鉄では、65歳からシルバー定期券なるものを買うことができる。6ヶ月で2万7千円(1日あたり150円)。これがあれば、電車もバスも、全区間フリーパスだ。なんだかわくわくするではないか。誕生日が来ればこれを買おうと、今から心待ちにしている。誕生日を待つ気分なんて、ああもう半世紀ぶりだ。

 昨日はまた、私学共済から年金の知らせが届いた。退職してからこれまでもらってきた年金は一時的で特別なもの。65歳からが正式の年金だとある。いよいよ、押しも押されもせぬ老人というわけだ。


 悠々自適という言葉をぼくは好まない。暇をもてあましてゴロゴロしているイメージが、言葉の裏に芬々としている。

 老人への門出を、ぼくは人生の新たなスタートとしたい。もちろん、身を縛られる仕事に復帰しようと考えたりはしない。どこまでも自由でありたい。自由でありつつ、ライフワークに向けて突き進みたい。

 そのライフワーク、今や準備は整い、着手を待つばかりとなっている。仕事に先立つ準備作業を、ここ一年、没我の境地でやってきたのだ。完成には、5年、10年、いやもっとかかるだろう。生涯の仕事になるかもしれない。だからこそライフワークだ。

 仕事には図書館が欠かせない。膨大なレファレンスを要するのだ。シルバー定期券は、実は図書館通いのためである。車を使うと、毎日何時間もの駐車料金が馬鹿にならない。

 65歳になったその日から、ぼくの仕事が本格始動する。そういう仕掛けになっているのだ。


(2013.1.25)




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