闘病生活における楽観と悲観

 血液のガンという、死にいたる厄介者でありながら、それまで他人ごとにすぎなかった病気が、まさか我が身に降りかかるとは。青天の霹靂だった。主治医に病名を告げられたのが2016年5月25日。2年前だ。

 はじめのうちは、ベルケイドという抗がん剤を週に一度ずつ皮下注射することを4週続けては、1週休むというサイクルをくり返した。これが1年あまり続いた。去年の夏には、異様に高かった病気の指標が半分の値にまで下がった。そこでいよいよ秋、造血幹細胞の自家移植という、決定的治療に踏み切ったのだった。そのとき私は69歳。移植のできるぎりぎりの年齢だった。
 結果、指標値は正常値の範囲内まで下がった。寛解期に入ったとの診断だった。

 寛解期になると、治す治療から、現状を維持する維持療法に移行した。維持療法では、アルケランという抗がん剤を月に一度、4日連続して飲むサイクルをくり返す。4日連続でアルケランを飲むと、手足のしびれがひどく、体もけだるくなって、何をする気も起こらなくなる。しかし、せいぜい一週間ほどでそれは治まり、その後は次のアルケランを飲むまで、何ごともなく平穏に元気に生活できる。
 手足のしびれや体のだるさは、薬がガンと闘ってくれている証拠。そう思えば、なんということはない、堪えられる。

 先日、同種の病気を抱える人たちの「患者会」というのに参加した。
「移植からもう5年になるけど、ほれ、こんなに元気です」
「もう10年以上になります。毎日1時間の散歩を欠かさず、まだまだ長生きできそうです」
 出席していた10人あまりの人たちは、みな異口同音にこうした話をされるのだった。先行きが不安でならなかった私は、みんなこんなに長生きしているのかと、なんだかほっと安堵した。

 だが、帰ってから冷静に考えてみて、あれっ、なんかおかしいぞと気がついた。「5年生きました」、「10年生きてます」と言っている人たちは、途中で倒れていった多くの仲間たちを踏み台にして(とまでは言わないが)生き抜いた奇跡の人にすぎないのではないのか。途中で倒れた人たちは、そもそも患者会になど参加できるはずもなく、生き抜いた少数精鋭の人たちだけが患者会に出席しているのではないのか。

 これはちょうど、戦争帰還者の話を聞いているのと似ているなとも思った。彼らは戦場で次から次と危機的場面をくぐり抜けた奇跡のような話をされるけれども、実は彼らの背後には、奇跡に恵まれることなく倒れていった、何倍も、何十倍も、いや何百倍もの戦友たちがいるにちがいないのだ。

 今から戦場におもむこうとしている私が、生き残った人たちだけで作る戦友会に出席して、「なんだみんなこうして生き残れるのか。私も当然彼らのように生き残れるだろう」と安易に考えたとしたら、それはあまりに呑気すぎる話ということになる。生き残って戦友会に参加できる人は、せいぜい百人に一人いるかいないかだろうから。

 実際、全身性アミロイドーシスをネットで調べてみると、「治療をしても予後不良」、「平均余命は2,3年」などという、目の前が真っ暗になるようなおぞましい記述が次々に出てくる。これが偽らざる真実なのだろう。5年も10年も、あるいはそれ以上も、元気なまま生きつづけている人たちは、戦場で無数の弾丸をくぐり抜けた奇跡の人にすぎないのだろう。

 患者会から帰ってきた晩、それに気づいて、楽観が悲観へと一転した私だったが、そうは言っても、私の場合、病名を宣告されてからすでに2年が過ぎている。この間、悪化の兆しはまったくなかった。従前と変わらず元気だった。
 この調子なら、過去の2年間を、これから先の2年間にそのまま継続させることも不可能ではなかろう。それで4年が過ぎたなら、その4年をさらにその先の4年に継続させることもできるのではないか。これをくり返していけば、10年だって20年だって生きられる。20年生きればもう九十だ。九十での死なら受け入れてもよい。天命だ。
 考えるうち、ふたたび自信がよみがえってきた。
 なんと単純馬鹿な私だろう。

 散歩していると、初夏の兆しがきらきらとまぶしい。
 甘い香りを放っていたミカンの花はもう散った。芯の部分にぷちっと小さく実がふくらんでいる。
 ついこの間まで、田園はどこも麦がたわわに実り、黄金色の海が視界のかぎり広がっていた。麦秋だった。それが数日前、あれよあれよと刈り取りが始まり、刈り取られたと思ったら、すぐさま麦焼きとなった。切り株が焼け焦げる酸っぱいにおいがあたりを包み、空も山もかすんでしまった。

 それが済むと、一休みする間もなく、今度は田植えの準備。土を鋤きならす。真っ黄色な海だった田園が、たちまちにして、土色の真っ平らな大地に変わっていく。土色の大地は、なんだか太古に戻ったようで、私は好きだ。
 やがて大地に水が張られ、田植えが始まる。水が張られる時期は、地域により、集落により、まちまちだ。十日も二週間もちがいがある。これは稲の種類にもよろうが、水利権の問題もあるのだと思う。川から田に水を引く順番が決められているのだ。早いところでは、もう水を張り終え、田植えが始まっている。わが家の近辺は、まだまだ土色の真っ平らな大地のまま。

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 季節の変化はまだまだある。タチアオイが背丈よりも高く伸び、みごとな花をつけはじめた。花の色は実にさまざま。深紅、赤、ピンク、黄色、淡い黄色、白……。微妙な色合いは、とても言葉で言い尽くせない。中には青いのもある。
 タチアオイは夏の花というより、初夏の花だ。七月中旬、夏が盛りを迎えるころには、元気をなくして、萎んでしまう。
 アヤメか花菖蒲かカキツバタか、見分けは私にはつかないが、初夏をいろどるその手の花も、しっとりとした色合いで咲き競っている。

 季節は晩春を置き捨てて、今やすっかり初夏模様だ。
 日が長くなった。夕陽のなんと美しいこと、あでやかなこと。大地をあたたかな空気で包みこみ、音も立てずに、あたりはいつしか暮れていく。

 生きていてよかったとつくづく思う。いつ悪化するかしれない肉体を抱え、生あるうちに為したいことを精いっぱい為そうと、日々机に向かう私だ。読みたいものを読み、書きたいものを書く。それが何よりの楽しみだ。
 夕方には3,40分の散歩。散歩から帰ると、柔軟体操、スクワット30回、つま先立ち30回。入院中のリハビリで学んだこうした軽い筋力トレーニングも楽しみの一つだ。

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