菅政権は安倍内閣より強敵か、それとも組みしやすいか。

菅政権は安倍内閣より強敵か、それとも組みしやすいか。

安倍のような世襲総理でない点では、組みしやすいとも言えるし、農民上がりの秀吉のようながむしゃらな独裁志向を内に秘めている点では強敵とも言える。

世襲総理は誰であろうと、甘ちゃん的な性格を内に秘めているものだ。菅にはそれがない。自分の思いつきを、早くも次々と専門家のお墨付き会議によって箔つけし、どんどんと実行に移しつつある。

一般的評価によれば、将来を見すえた大局的な政治観点を持たないまま、思いつきの一点突破で「やっている感」を発揮しているのが菅政権だとの見方が大方だ。成功するかどうかは不透明という。

当然、国民やマスコミからはもちろんのこと、官僚たちからも、これでは政治がゆがんでしまうと憂慮する声が上がっている。だが、菅はこれに対して「官邸の思惑に異を唱える官僚は直ちに異動してもらう(左遷させる)」と言って、いっこうに動じようとしない。「論争する者=反対者」との発想を前面に立てて、強権政治、独裁政治を早くも明確に宣言したのである。

「自助・共助・公助」を政治の原則として打ち立てようとしているのも菅政権である。自助が前面に出てくるのは、新自由主義の特性だ。ひと言で言えば、国が手だてをせず、国民や企業に好きなようにやらせておく。それが経済をあるべき状態に自然に落ちつかせる最適の方法だという考えにもとづいている。放っておけば自然界はおのずと安定な方向に向かうという、自然科学的な思想が背景にある。

だが、新自由主義がもたらすものは貧富のはなはだしい格差。これはもう人類の動かし得ない体験なのだ。人間社会と自然界の根本的違いがそこにある。それに気づかないで、自然法則を社会科学にあてはめようとすると、大変な結果を生むのである。

人間社会には自然界とはちがい、自己の利益を最大限に追求するという特異な志向性があるものだ。自然界にはそれがない。海も大地も大気圏も大気圏外も、そしてまた分子も原子も素粒子も、さらには広大な宇宙そのものさえも、自己の利益を他者を押しのけてまで追求するという性格を端からもっていない。それらは結果がどうなろうと、自然法則のなすがままに動いている。その結果、混乱が生じたとしても、たいていの場合、いつしか平衡状態に戻っていくのだ。

「たいていの場合」というのは、行きすぎるとそれを元に戻そうとする正のフィードバックが働く現象だけでなく、わずかな変化がその変化をさらに増大させて破局的な方向に向かってしまう負のフィードバックも自然界には少なからず存在するという意味だ。

自然と社会がもつこの大きな違いを無視して、新自由主義によるある種の放任主義こそが、人間社会を最適な状態に保ちながら、さらに発展させる最もよい方策だと強調することは、すでに歴史的体験によって破綻させられていることだといわねばならないだろう。

小泉政権が行った郵政民営化という一点突破はその最たるものだった。それは結局失敗に終わり、今ごろになってその弊害が次から次と露呈している。

アベノミクスも同様だ。トリクルダウンは起こらなかった。夢にすぎなかった。中流の上層部から上の階層のみが、株価の上昇や企業内での特権的地位によって、上層階級へと階段を上り、それより下の層は、その日の暮らしにも困るほどのとんでもない最低層に突き落とされた。それを象徴しているのが非正規雇用の増大である。失業者やその予備軍が何倍にも増え、最低賃金ぎりぎりで暮らしている若者や一人親世帯が無視できないまでに増えてきた。社会が二分されたのである。

菅政権はアベノミクスを継承すると言っている。最低賃金を引き上げるとも言っている。それ自体はもちろん賛成だが、十分な政策研究がないままの、単なる貧困層向けの思い付き政策にすぎないとしたならば、それは中小企業を破綻させる効果しか生まないだろう。中小企業の破綻は、国民生活をなおいっそう困窮させる。この政策は両刃の剣なのだ。思い付きだけで一点突破できるような甘いものではない。成功させるには、将来にわたる長期的な政策理念が必須なのだ。

「縦割り行政をぶっ壊す」も菅政権の柱だ。もちろん悪いこととは思わない。だが、これは小泉政権が打ち出した「自民党をぶった壊す」とも似た、成功のための理念作りと細部のつめを怠った、打ち上げ花火すぎないように思えてならない。やがては矛盾が爆発し、じわじわと元の鞘に収まってしまうしかない打ち上げ花火だ。

ご祝儀相場の高支持率を有する菅内閣だが、コロナ等のさまざまな理由で、今直ちに衆院解散を国民に納得させるのは困難だろう。菅氏自身もそれにどうやら気づいている。

となれば、早くとも大晦日あたり、遅ければ来年の通常国会中、それが妥当な解散時期だと考えられる。それをすぎると、再び解散の時期選びが難しくなるから。

それまでのわずかな時間で、野党がどれだけのまとまりを見せ、小選挙区の候補を一本化し、気持ちよく「政権交代」という大きな目標に向かう体制を作れるかが課題である。各党が一日も早く共通政策をすりあわせ、政治を大企業や特定の利益団体の擁護から、中流・下層階層以下の命と生活を守るものに変化させられるか、それをはっきり納得させられる政策を作らないといけない。

もちろんそのためには、モリ・カケ・サクラを風化させないことも必須である。安倍氏は「総理も国会議員も辞める」と言ったが、そのうちの総理はもう辞めた。あとは国会議員だが、解散になれば少なくとも一時的にやめることになる。もし再選されたならば、総理でない安倍議員を追及することは、総理でもあった安倍議員を追及することよりもはるかに容易である。やらねばならないだろう。

小異を捨て、大同につくこと。政権交代にはこの鉄則が一番である。小異は、選挙前も、選挙中も、そして政権を奪取した暁においても、決してつつき回さないこと。政権が十分安定した後に、つまらぬケンカと政策論争をはき違えないようにしながら、小異を徐々に大同に近づける努力をすればよいのだ。それまでは封印しておくことだ。

これが国民に責任をもつ政権のとるべき道であろう。先の民主党政権では、小異をつつき回すケンカが、結局政策論争の枠を飛び越えてしまい、一気に政権分裂の道へと突き進んでしまった。それが安倍一強を生む背景となった。あのときの二の舞を繰り返す愚はもう二度と犯さないことだ。

その前にまず、菅政権が持つ本質的弱点を徹底的に究明し、それを臨時国会などで適切に突き、菅政権の問題点を国民の目に早く納得させて、ご祝儀相場の支持率を引きずり下ろすことだ。

足早に一点突破で「やっている感」を見せつけつづけ、国民の支持を取りこもうとしている菅政権だが、それが擬似アベノミクスにすぎないもので、やがては頭打ちとなって国民へのしわ寄せを強める結果を生むことを、明瞭な理論と経験とをもって正確に正面から突くことだ。打ち破ることだ。それを国民の目に見える形ではっきりさせることだ。

外交は安倍政権がすでに頭打ちになっていた。それを受け継ぐ菅政権に対しては、しばらく高みの見物をしておけばよい。問題は内政だ。

もしも野党に菅政権をしのぐ内政改革の力がないとすれば、これはもう国民の悲劇そのものである。




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