秋深し
秋が深まり、冬が着々と近づいている。毎日の散歩でそれがありありとわかる。田舎の野道を歩くから、なおそれがはっきりわかる。
今日は満月か。まん丸な月を見てそう思ったが、どうやらまだ十四夜。明日が満月だ。
まん丸な月を見ていると、なんだかそら恐ろしくなる。そこにぽっかり浮かんでいる月の、あまりの実在感! 絵画的風景として空に貼りついているのではない。まさに地球の衛星として、たしかな空間に浮かんでいるのだ。地球からなにがしかの距離に、たしかに浮かんで実在しているのだ。
そのたしかな事実を如実に思い浮かべながら散歩する。私と向き合って、なにがしかの距離にたしかにある月。数十億年をありつづけ、これからもまた数十億年をあり続けるであろう、そのたしかな実在。見つめているとなんだか少しこわくなる。
私の命のなんとちっぽけなことか。取るに足らないこの命。だけど私にとっては何より貴く、あらゆる存在の絶対確実性の根源であるこの命。
月の実在性は、それを認識する私という存在なしにはありえない。不思議なことだ。
何もかもが不可思議、不可思議。秋から冬へのこの過渡期の夕暮れ時には、存在の根源がちらっとかすかに垣間見えるから、それもまた不思議なことだ。
72歳というこの歳にして見えてくるものが、やはりあるのだ。
この記事へのコメント