冬至よりも前に、日の入りは最も早くなるか?(2)

松山では12月初め(12月4,5日ころ)に日の入りが最も早くなり、5時には暗くなってしまうはずだと、まだ学校に勤めていたころの体験から、先日私は書いたのだが、このところの散歩における体験がそれをどうも覆しそうな勢いだ。そうも書いた。

勤めていた10年前には、5時に学校の玄関を出ると、外は真っ暗だった。正直、そういう印象だった。ところが今、5時ちょうどに家から散歩に出ると、周囲はまっ暗どころか、まだたっぷり明るみが残っている。

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この矛盾をどう解釈すればよいのか。

はっきりしているたしかな事実は、気象庁の日の出/日の入り時刻データだ。それによれば、やはり松山における日の入り時刻は12月4,5日ころが最も早く、それはまちがいなく5時ちょうどだ。日の入りが最も早いのは冬至ではなく、冬至より2週間あまりも早い12月4,5日ころなのだ。この事実は動かない。

理由は先日も書いたが、地球の公転軌道が楕円であることと、その近日点が、少なくともここ千年ほどは、北半球の冬至のころに当たっていることによっている。(近日点は公転軌道の歳差運動によって、宇宙史的な長い目で見れば常にずれている)

この12月4,5日をすぎると、徐々にではあるが日の入りは遅くなり、いわゆる「日が長くなる」という感覚を人々は味わうことになる。実際、冬至のころには12月4,5日ころよりも日の入りは5,6分遅れている。この5,6分は、単に5,6分であるにとどまらず、たそがれている時間が長引くことによって、実際には10分以上も日が長くなった感覚をわれわれに与えるのである。

もう一つの疑問(矛盾)は、5時に太陽が沈むにもかかわらず、5時にはまだたっぷりの明るみが残っていることである。西空の明るみが完全に消えるのは、12月4,5日ころであっても、晴れていれば5時40分ころである。その間は、一見太陽が地平に沈んだように見えても、高度の高い空から見ると、まだ太陽は沈んでおらず、高高度の空はまだ十分太陽に照らされているのである。だから、5時を過ぎても空は急には暗くならず、明るく青いのである。

10年前の私の体験である、5時に学校の玄関を出ると外は真っ暗だったというのは、おそらく、電気が煌々と照った明るい空間からいきなり外に出たときに感じた錯覚だったと思われる。

まあ、地球と太陽という身近な天体の関係においてさえ、一見不思議な原理はいくつもあるのである。

冬至は「昼間が一年で一番短い日」、これは正しい。だけど決して、冬至は「日の入りが一年で一番早い日」ではない。ではその穴埋めはどうやって埋められているのか。。それは、「日の出が一年で一番遅い日」が冬至を2週間も過ぎたころであるという事実によっている。冬至は決して、「日の出が一年で一番遅い日」ではないのだ。冬至をすぎてからも、日の出時刻はどんどん遅くなっていく。冬至のころよりも、それから2週間ほどすぎた1月初めは、日の出時刻が5分くらい遅い。

日の出時刻と日の入り時刻のこの微妙な関係によって、結果的に、冬至は「昼間が一年で一番短い日」となるのである。これはすべて、地球の公転軌道が楕円であること、近日点が北半球の冬至のころであることに由来している。面白いものだ。

日の出時刻の変化についても、私は勤めていたころから如実に勘づいていた。冬休みが始まるのがだいたい冬至のころだった。そして、私が起きるのは、季節にかかわらず、だいたい7時すぎ。

冬至のころ、学校に行くために7時すぎに起きると、すでに外は明るんでいた。

ところが冬休みが終わり、1月7,8日ごろになると、登校しようと7時すぎに起きると、外はまだ真っ暗なのだ。これは疑いようなく実感できる明るさの変化だった。不思議でならなかった。

この不思議な変化には容易に気づくことができたが、それがなぜかということに気づくには何年もかかった。

結論は、地球の楕円軌道。その根本原理はケプラーの第2法則にあると気づかされた。近日点が北半球の冬至のころだと仮定すると、ケプラーの第2法則から、ピタリ、日の出時刻や日の入り時刻の微妙なズレが説明できるのである。そして現に、今の時期(宇宙的な今であって、まあここ千年程度の間)は、近日点が北半球の冬至のころに当たっていることを、私は地球科学の本で読んだ。毎年更新されている『理科事典』を調べれば、もっと精密に近日点のずれ方などもわかるだろうが、その必要性すらなかった。

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話はまったくそれるが、私は潰瘍性大腸炎と全身性アミロイドーシスという、2つのやっかいな難病指定の病気を抱えており、その上、ふた月前には脚立から落下して頭や胸を強打するという災難に遭った。

落下の際、頭に出血や空洞部ができ、下手をすると左半身の麻痺につながるおそれがあると、入院した脳神経外科の主治医に脅された。

明日は退院後、2度目の大脳CT検査の日だ。これで治りつつあると診断されるか、悪化の兆候ありと診断されるか、重大な判断が下されることになる。自覚症状的には、治りつつあると確信しているが、はたしてどうだろう。体の奥底の変化は、自覚症状には正しく反映されないことが多いから、安心できない。

今、命の危険を最も強くはらんでいる病気は全身性アミロイドーシスだ。血液のガンの一種で、自覚症状にはまったくその影響は表れていない。だからこわい。自覚症状的には元気そのものである。たが、あるとき、あっという間に悪化して命を落とすレベルになっていることも考えられる。いつもその点、びくびくしている。なんと言っても、最初に主治医から病名を告げられた4年半前、平均余命は2,3年と、データやグラフで示されたのだから。

今は、月に一度の定期検査において、悪化の兆しは強くは出ていない。造血幹細胞の自己移植という手術によって、いったんよくなったあとは、ほんとに少しずつだが悪化の道をたどり、今は平衡状態の維持か、やや悪化の傾向というところ。ひと言で言えば、部分寛解状態にある。完全寛解にならないと「ひとまず治った」と判断してくれないのだ。

近所に10歳年上(80数歳)で、猛烈に元気な人がいて、彼は毎日10キロ近く走ったり、冬山に登ったり、それもただの冬山でなくロッククライミングをしたり、シルバー人材派遣に所属して庭の剪定のアルバイトをしたりと、とにかくじっとしていない人である。元は塗料剤の研究を専門とする大学の先生だったそうで、彼の研究成果が国会審議を動かしたことさえあるらしいのだが、そんなお高い素振りはまったく見せず、頭の低さは、一介の塗料職人だったとしか思えないほどだ。

彼を見ていると、彼より早く死ぬわけにはいかない思い(彼の葬儀に出席したい思い)がむくむくと湧いてきて、なんとしても体を鍛えたくなる。だけど難病を抱えている身としては、彼のような無理は禁物。毎日の散歩(40分から1時間)が関の山だ。しかしこれだけでも毎日続けていれば、なかなかの運動になり、少なくとも自覚症状においては悪化はちっとも感じられない。どちらかと言えば元気がどんどん増している。

私が退職時から目標としていた、父を抜くこと。つまり91歳よりは長く生きること。これも夢ではないと思うようになっている。

元気で働ける状態で、つまり寝たきりにならない状態で、91歳を迎えることかできれば、とりあえず私は本望なのだ。私の場合、元気で働けるとは、肉体労働である必要はない。机に向かった精神労働において、元気に働ければよい。

妻はいつも、
「大きな夢をもちすぎない方がいいよ。一日一日を感謝して生きていくのが一番よ」
と言っている。実際私もその心境になってきた。一日を終えると、
「今日も一日元気で過ごすことが出来て、ありがとうございました。感謝します」
と祈り、一日が始まる朝には、
「今日も一日元気で過ごすことが出来ますように」
と祈るのである。

これをあと20年繰り返せば、私は本望を達することになる。可能性ありと踏んでいる。散歩によって足腰の健康が維持されれば、可能性ありと踏んでいる。二十歳代から始めた30数年間のジョギング生活、20年間のテニス生活、10年間の水泳生活。これらが、今も健康と持久力をどこかにたっぷり蓄えているように思えてならない。それでチビチビ食いつないでいけば、あと20年はもつだろう。夢ではない。

皆さんもどうか、足腰の衰えだけには注意を払ってください。人の衰えは足から始まると昔から言われていますから。

(2020.12.8)


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