抗がん剤が1.5倍になって

一昨日の月曜日から、アミロイドーシスを治療する(現状維持する)抗がん剤が1.5倍に増量された(つまり2錠から3錠に)。ごくわずか、悪化の兆しが見られるからというもの。 一日おきの就寝前に飲むから、3錠になってからはまだ月曜日の一度だけ。月曜日にはまた、週に一度飲むことになっているデカドロンというステロイドも飲んだ。たまたまダブルで重な…
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早起き、早朝マラソン、金魚のこと、草舟流し

今朝は早起きをして、5時半ごろ起きた。昨日と同様、猛烈な寒さ。ひょっとすると昨日より寒いかも。寒気にキューンと身が締めつけらる。 子供のころ、冬休みになると近所の子供たちと必ず早朝マラソンをやっていた。これはわが町筋だけの伝統で、学校からは何も勧められていなかったにもかかわらず、先輩の伝統を守って、毎年自然に続いていた。一年生から六年…
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水彩画、定期診察

とにかく寒い日だった。この冬一番の寒気だろう。その上、ときおり雨。激しく降ることもある。ぼくの住んでいる松山市と東温市の境目あたりは雨で済んだが、山寄りの地域は雪だったと思う。 午後、週に一度の楽しみである水彩画教室に。描いたのは、名前を知らない薄赤色の花と、ユキヤナギ。花は一回限りで枯れてしまうから、次週続きをというわけにはいかない…
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あたたかな一日、親ネコのこと

今日はほんとにあたたかだった。2月中旬にしてこんなのは記憶にない。 麦がぐんぐん伸びている。つい先日まで10センチくらいだった麦が、今日見ると15から20センチほどに伸びている。麦に春を感じるこのごろだ。 親ネコは3日ばかり旅に出た後、また我が家の庭に戻ってきたのだが、幼いころからおそらくずっとノラですごしてきたからだろう、いつ…
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水彩画教室に久しぶりの新人

毎週楽しみにしている水彩画教室に、今年から新人が入ってきた。何年も同一メンバーでマンネリ風が吹いていた教室に、久しぶりに新風が吹き込んだ。実をいうと、新人が入ってきたことはこれまで何度かあった。だけどその都度、長続きしないうちにやめていき、結局は元のメンバーに戻ってしまう。そんなことが繰り返されてきた。 減ることはあっても増えることの…
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帰ってきた親ネコ

子ネコを残して親ネコが出て行ったのは数日前。子ネコが寂しそうにニャーニャー鳴くので、ついに子ネコはノラから家ネコに昇格させたのだった。 親ネコはもう戻ってこないかと思っていると、一昨日、ふと見ると庭にまっ黒な例の親ネコがいる。3日ほどぶらっと旅に出て、また戻ってきたという感じ。食べ物に困って戻ってきたというべきか。しかたないので、また…
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病院通い。春の兆しその2

ぼくは2つの難病を抱えていて、一つは、指定されてもう36年になる潰瘍性大腸炎。安倍首相と同じ病気だ。もう一つは、指定されて3年半の全身性アミロイドーシス。 潰瘍性大腸炎では50歳ころ、死ぬかと思うほどのひどい目に遭い、一年間、休職する羽目に陥った。復職後も、何度もひどい下痢や大腸からの出血を体験し、長い休職はその一度だけだったものの、…
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ノラネコ、ついに家ネコに

庭で好きにさせていたネコの親子。エサだけはやっていたが、「ノラだぞ」と、ネコにというよりも、自分に言い聞かせてきたネコたち。 産んで4カ月目にして、ついに親ネコが出て行ってしまった。子ネコを残して……。普通は親が子を追い出すはずだが、逆に親ネコが出て行ってしまった。子ネコはひと晩、親を求めてニャーニャー鳴いていた。 あまりに可哀想だ…
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春のきざし

今日もあったかだった。散歩の途中で春のきざしにいくつも出会う。 霞にしっとり濡れながら沈んでいく太陽。 緋寒桜。ドキッとするような深紅の花が今まさに満開。 菜の花(もどきのアブラナ科の花か)。やはり今が満開。こういうのを見ると、ああ春だなと思う。 スイセンの群生。春を告げる花というよりは、「春は名のみ」の春浅きころの花だ。1月の…
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目の定期検診、ドライアイ

昨年の8月と9月に左と右の目の手術をした。左は白内障、右は黄斑変性症と白内障。 一時は出血して半失明状態になったりもしたが、今はすっかり治まって、ほぼ定常状態に戻っている。2カ月に一度の定期検診を受けているだけ。その検診が今日あった。 今日は朝からどうも目の調子がおかしかった。いつもは見えるはずの距離が少しぼやけている。こういうこと…
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田園風景

今日もあたたか。夕日が沈むころあい、心地よく散歩。心の半分は自然にとけこみ、残る半分は夢想の世界をさまよっている。夢想の世界は雑念の世界と言いかえてもよい。 池の土手を歩いていると、シラサギがまるでぼくのように、何かを考えながら、じっと佇んで対岸を見ている。近づいても気づかない。夕日に照った水面に溶けこみ、微動だにしない。 あと…
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月と金星のコラボレーション

今日は久しぶりに天気がよくて、あったかい。一日寿命が延びた気がして「三文の得」の気分。 夕方いつもの散歩をしていると、金星と三日月がみごとなコラボ。最接近は昨日だったらしいが、昨日の天気ではとても見られなかった。 今の金星はマイナス4.1等級。すばらしい明るさだ。空に電球がともっている感じ。その脇に三日月が従者のように仕えているのだ…
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歯がポロリ

歳をとるとナマの歯が減っていく。臼歯付近は詰めものだらけだ。そのうちの一つが今朝ポロリと取れた。爪楊枝を使っていた最中に。 取れても別に痛くもなんともないのだから、なかなか歯医者に行かないこともある。そのうち取れていることさえ忘れてしまって、ひどいときには半年近くもそのままにしていたことがあった。半年後に、取れた詰めものをもって歯医者…
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タヌキの夫婦

今日の水彩画教室。先週未完成で終わった「タヌキの夫婦」の続きを描く。まだ未完成だが、とりあえずこんな感じになった。 素人丸出しの絵ですから、どうぞそのつもりで。 ともかくこうして週に一度絵筆を握っていると、ぼんやりしていた頭がしゃっきりし、かつて毎日ジョギングしていたころのランナーズハイに似た快感が得られるから不思議なことだ。 …
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ノラネコ物語

捨てておくのは可哀想と、あくまでノラのつもりでエサだけはやっているネコたち。だけど、向こうはすっかり飼ってもらっているつもりになっているらしい。庭を遊び場に、段ボール箱を寝場所に、いい案配に気楽な暮らしを始めてしまった。 思えば40年、犬やネコを飼い続けてきたぼくら夫婦だ。多いときには、犬4匹、ネコ1匹という時代もあった。とうとう最後…
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遠い昔の片思い

一日どんより曇り空。昼間でさえ陰気で暗い。風が強くて、外に出ると思わず身震い。さらに加えて、冷たい雨が蕭々と降る。 1月末のこんな日には、学生時代のある日のことを、いやでもぼくは思い出してしまう。一学年下の片思いの女性。彼女の下宿を訪ねようか、どうしようかと、心が定まらないまま、下宿の周囲を、近づいては離れ、離れては近づき、呆けたよう…
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もうすぐ72歳。ブログ、毎日更新したい

せっかくブログを再開しようとしたのに、年末から年始にかけて、風邪気味で元気がなかった。正月明けに主治医に診てもらうと、正真正銘のインフルエンザとのこと。ぼくの場合、3年あまり前からアミロイドーシスという血液の病気にかかっていて、インフルエンザ等の予防接種は原則できない。だから、特に冬場は人混みを避けたり、マスクをしたり、手洗い・うがいを…
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白内障と黄斑変性症

10月には庭のキンモクセイがよく匂いました。カリンは今、葉を赤銅色に染めてみごとな秋を演出しています。しかし肥料不足のせいで、年々実が少なくなってきて、しかもせっかく成った実がポトンとすぐに落ちてしまったり、あるいは通りがかりの人に、「カリンがびっしり黄色い山のように成っているのを見るのが毎年楽しみだったのに、このところ実が少ないですね…
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いつまでも弱者が泣き寝入りしていてはいけない

8月下旬、目の手術をした。まずは左目の白内障手術。これが失敗だった。挿入した人工水晶体(レンズの働きをする)の度が合っておらず、近くにも遠くにも、どの距離にも焦点が合わないという、とんでもないことになった。目が回って頭がくらくらしそう。 1週間後、再手術。今度は手術中に出血した。左目が半ば失明状態に。目の前に手をかざしても、その手が見…
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「表現の不自由展・その後」の中止事件に思う

芸術作品というものは、文学・絵画・彫刻・造形・デザイン・音楽・映像・演劇・バレエ・ダンス・パフォーマンス等、なんであれ、それが表現するものには、創作者・演技者の何らかの意図がこめられている。また、鑑賞者がその作品から受け取る「何らかのもの」も個人によってそれぞれ異なり、当然ながら創作者・演技者のそれと一致しなければならない理由はなく、異…
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文化の創造? それとも破壊?

昨日の朝だ。玄関を出ると激しい熱射。息を呑む照り返し。空は夏色。白雲が浮かぶ。クマゼミがグワングワンと大合唱。 おっ、梅雨明けだ! すぐさまネットで確かめる。案の定、気象庁も四国を含む西日本一帯に梅雨明けを宣言していた。そりゃそうだ、前日までの空が一転したのは誰の目にも明らかだから。 松山では16日、フェイントのように空が晴…
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自由の身であることと表裏一体の、老人の悲哀

先日、この夏初のセミの声を聞いた。長かった梅雨空が晴れて、空が真っ青にきらめいた日だった。セミが衝動に堪えられなくなったのか。7月16日だった。 7月16日は、私が勝手に松山の梅雨明けの日と決めている日だ。自然界も私の思いに気づいているのか、16日には必ず空が晴れ上がる。いきなり夏空が現れる。やっぱり今年も16日だった。得心しつつ…
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参院選に思う。安倍政権の腐敗

参院選の期日前投票に行った。私の一票の重みはどれほどのものだろう。「わずか一票で何が変わる?」と言う人もいるだろうが、やはり一票は重いと思う。一票そのものの重みではない。積み重ねの重みだ。何万票も、何十万票も、所詮は一票一票の積み重ねの結果だ。人間の身体も、地球も、太陽も、所詮一個一個の素粒子の積み重ねにすぎないのと同じく。 投票…
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黄斑変性と白内障の手術をすることに

歳をとると、思わぬところに不具合が生じる。つくづく思う。 ボクは目をやられてしまった。たぶんここひと月以内のこと。視力が極端に落ちてきた。元々遠近両用メガネを使っていたが、、それで当たり前に見えていた壁のカレンダーの数字が、最近読めなくなってきた。出窓に置いているデジタル時計の数字も、今までくっきり見えていたのに、このところ妙な具…
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参院選に思う。若者よ、ああ。

一年ぶりです。この間、月に一度の抗ガン治療によって、病状は格別よくもならないが、悪くもならず、これならボクにも「老後」というものがあるのかもしれないと、先行きに少し明るいものが見えてきたこのごろです。 追々と日々の思いをまた記していこうかと思えるようになってきました。 先日、高熱が出て3週間ほど入院したのですが、そのとき、治…
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みんなが夢を見れば、それはもう夢じゃない、現実なんです

まさかこれはありえないでしょうと、目を疑うような『参院定数6増法』。 どこからどこまで、自民党の、自民党による、自民党のための選挙法。 それがついに成立した。民主主義も正義も道理もあったものじゃない。あるのは、絶対多数者の自己保身と、数による強行突破の論理だけ。 ここまでガツンとやられたら、国民はもう頭がくらんで何も言えない。 …
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死に向き合った日々

 全身性アミロイドーシスという、血液のガンの一種とされる不治の病を宣告されて2年あまり。この間、幸運に恵まれた一部の先例を見ては、長生きできるかもと楽観したり、ひっそりと亡くなっているはずの多くの患者のことを思っては悲観したりと、気持ちの揺れは日々激しい。  だが、近ごろ、生と死に関して達観できる境地になってきた。いま私は70歳を…
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闘病生活における楽観と悲観

 血液のガンという、死にいたる厄介者でありながら、それまで他人ごとにすぎなかった病気が、まさか我が身に降りかかるとは。青天の霹靂だった。主治医に病名を告げられたのが2016年5月25日。2年前だ。  はじめのうちは、ベルケイドという抗がん剤を週に一度ずつ皮下注射することを4週続けては、1週休むというサイクルをくり返した。これが1年…
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生かされて生きている

 全身性アミロイドートスと告げられて、そろそろ丸2年だ。  あのころぼくは、ひたすら元気だった。ほんとに懐かしいよ、あのころが。ほんとに、ほんとにね。知らぬが仏で、毎日、城山に登り、プールで泳ぎ、ウオーキングを楽しんでいたんだから。なんだか遠い昔に思えるな。  病気だと知らされたのは、まったくもって偶然の賜物だった。そう、賜…
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とにもかくにも生きている

前回のブログが2016年2月25日。2年あまり前だ。あれから思わぬことがいろいろ起こり、ブログは休止状態になっていた。 一つは、中学時代からずっと私の囲碁の師匠でありつづけた母方の叔父が、前回のブログのわずか2日後、96歳で大往生を遂げたこと。そのこと自体は、十分に生き尽くした後の往生だから、別に大きなショックではなかった。しいて言え…
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月の沙漠

前回、『船頭さん』の童謡を引き合いに出した。 童謡で思い出すのは、『月の沙漠』だ。三歳になるかならないころだろう。母が歌って聞かせてくれた。 ぼくが人生で初めて聞き覚えた童謡、とまで言ってよいのかどうかは知らないが、幼い心に最初に響いた童謡と言うなら、まちがいなく『月の沙漠』だ。 母の膝の上で、母が開いてくれる絵本を眺めながら、母…
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おれ、年寄りだよな

もう3年も更新していなかったことになる。つい先日、68歳になった。歳月の早さに驚く。年寄りのたわごとを再開しようかと思う。 と書いて思った。3年前まで、自分を年寄りだと自覚することなどなかった。だのに、わずか3年経ったにすぎない今、いとも自然に「年寄りのたわごと」などと書いてしまう。なんとしたことだ。 自分を思わず知らず「年寄り」に…
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水星見たいな。梅も、源氏も。

 ぼくはいまだかつて水星をこの目で見たことがない。  昔から星は好きだし、毎夜、空を見上げることを楽しみにしているぼくだが、65年の人生において、水星を見る機会はなかった。  死ぬまでに(そんなに近い先とはまったく想定していないが)一度は水星を見てみたい。それがぼくのひそかな願いである。  ときおり、肉眼で水星が見られそうな時期が…
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お菓子教室に

 なんと昨日は、お菓子作り教室の生徒になった。定年退職者なればこそできることだ。受講生は十数人。うち男はぼく一人。消え入りそうなこそばゆさ。  講師の先生は知る人だし、知り合いのご婦人が二、三名参加しているしと、誘われるままに顔をのぞかせた。  会場は、さる福祉センターの調理室。入ると、立派な調理台がいくつも並び、鍋、釜、包丁から、…
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春近し、65歳は人生の春

 年が明けて、もうひと月。  昨年秋から中断していたブログも、そろそろ再開できる心持ちになってきた。  秋以降、何ともやっかいな、裁判という魔物に足を取られ、平常心を失っていた気がする。長年義弟とかぎりなく離婚に近い別居生活を続けていた義弟の妻が、義弟の死を機に、唐突にも、ぼくの妻を相手に民事訴訟を起こしたのである。何の罪を犯したわ…
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秋景・コスモス畑

コスモスの花々々に照る銀河人の世は邂逅にしてコスモス凛ふうわりと風来ぬ吾にコスモスに友と逢ふ嬉しき日なり秋桜この道の末にあるとふ群れコスモスかへりゆく道いづこぞと馬追鳴く一人われたたずむ川に風は秋  重信川の土手は、かつてはジョギングコース、走ることをやめてからはサイクリングや散歩のコース。思えば、かれこれ35年もの長いつきあ…
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自由になって

 退職し、自由を得てはや二年半。夢にまで見たこの自由。  水彩画を始めたのは大きな収穫だった。描いているととにかく楽しい。時を忘れる。自分を忘れる。すべてを忘れて、目の前の色彩空間に没入している。  今こうして書いているように、文章を書くのも楽しい。好きな時間に、好きなように書けるのがうれしい。  「……しなければ」という束縛…
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絵を描く喜び、散骨した人

 8月に描いた25号ほどの水彩画を秋の県展に出してみようと思い、昨日、画材屋で額に入れてもらった。水彩画を始めて2年半。25号というのは、ぼくにとって過去最大の大きさだ。額に入れると畳半分を越える。ちょっと感激だった。絵の良し悪しは言わないとして、我ながらその努力に合格点をやりたい気分になった。  まあ、初心者の感激である。ここからが…
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松山秋景色、早くも彼岸花

 一昨日、家の近くの田んぼの中を歩いてみた。  まず見つけたのは、彼岸花。9月11日だよ、まだ。  意外だった。まさか、という気がした。ちょっと気が早いのではないか、君。  満開なのはただ一本。そばに赤い新鮮なつぼみが数本伸びていた。  稲にはいくつか種類があることが、実りの時期を迎えるとよくわかる。農業にも米のことにもまっ…
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震災後一年半の東北に

 わずか一泊二日の旅ではあったが、テレビやニュースで数え切れない間接体験をしてきた津波被害の実態を、初めてわが目で直接体験した。九死に一生を得た人の体験談も聞くことができた。震災後一年半が経過した東北に、その爪痕はいまだ生々しい。復興の道の遠いことを思い知らされた。  旅の主目的は、次女が障害者である関係で、肢体不自由児者連合会の…
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悩みと迷いの青春時代

 昔の日記を読み返し、何かのときのためにとデジタルデータ化する仕事をふたたび始めた。  ぼくの日記は、今も残されているものとしては中学1年の正月(1961年1月)に始まる。そこにぼくが書いているところによれば、もう一冊、その前身のノート(手帳)があったらしい。それは小学6年から始まるもののようで、たしかに言われるとそういう手帳をもって…
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セミ異変。ついでにツバメ

 自分の体験やわが家の周辺環境を一般化することはできないが、この夏、不思議にヒグラシの「カナカナカナ」を聞かなかった。いまだに聞かない。  昨日初めてツクツクボウシを聞いた。ツクツクボウシも例年より遅い。鳴き方も変だった。「ツクツクバウバウ、ツクツクバウ」と聞こえる。これを繰り返す。あるいは生まれたばかりのツクツクボウシで、世慣れてい…
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映画『あなたへ』に思う

 勤めていた頃は、映画館に映画を見に行くなんて、年に一度もないことだった。それが、退職すると不思議に映画好きになり、シニア1000円という魅力もあって、最低でも月に一度は見に行く。  月に一度で映画好きとはおこがましいと言われるかもしれないが、ぼくにとってはけっこうな頻度だ。久しく忘れていた妻とのデート、ときめきのデートのような気分を…
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時を越えて

 父が生きていたらちょうど今百歳なんだと感慨にひたりながら、数日前、父と母の墓を詣でた。  父は明治45年(1912年)4月12日の生まれ。明治の人だ本人も言い、ぼくも信じてきた。だが、思えば父の明治は3ヶ月半にすぎない。  父は北予中学時代をよく懐かしんでいた。今の松山北高である。  父の在学期間は、秋山好古の校長時代にほぼ重な…
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満足は自分が決める

 ずいぶん長く更新していなかったが、いろいろなことがあった。  個人的なこと、対人的なこと、自分を見つめ直すこと、過去をふり返ること。  あまりに多くのことが一気に身の回りを流れていったものだから、ここに書き尽くすこともできないし、その気にもなれない。  しかしまた、ぽつりぽつりと今の自分の心境や生活を語る生活に戻りたいと思う。6…
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二十歳のかけらⅡ

 『二十歳のかけら』がようやく出版の運びとなった。数日のうちには全国の書店(といっても300店ほどにすぎないが)の書棚に並ぶらしい。  ネット書店の方は対応が早いから、すでに5月末から注文可能になっている。  嬉しいような、気恥ずかしいような、複雑な心境だ。  本の体裁をなして以来、なかなか手に取る勇気がなく、先日ようやく読み…
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二十歳のかけら

 まあ一応文芸書と分類できる本を、出版まであとひと月というところまでこぎ着けました。お読みいただけるとありがたいです。タイトルは  『二十歳のかけら 京大生青春日記1966-1971』。  少年期・青年期を60年代に重ね合わせて生きた若者の日記風物語です。  展開されているのは、実に弱い一人の若者の挫折につぐ挫折の物語。恋で挫折し…
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くりかえしのこと

 くりかえし(周期性)とはもちろん、一定の(時間)間隔で同じパターンがくり返されること。数式で書けば f(t+a) = f(t) がすべてのtで成り立つことであって、aがその周期である。  周期性の対極にランダム性がある。  くりかえしが約束されている現象は、待っていても苦ではない。毎日同じ時刻に郵便配達がやってくる。それを待つの…
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腸(はらわた)

 連句をイメージしたリレー短文を思い立った。五七五七七にこだわらず、短文の連想リレー走をしようというのだ。  スタートのお題は「腸」。  「腸」を訓読みすると「はらわた」だという。少々変だ。概念図が一致しない。腸ははらわたの一部にすぎないではないか。  そこで、「はらわた」を広辞苑で引いてみる。(1)腸、(2)臓腑とある。つまり、…
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教えることと学ぶこと

「あの先生ダメだよ。Aさんの絵を見ても、ほー、これはいいねえ、Bさんの絵を見ても、そうこれがいいんだよ。結局どれがいいのかちっともわからない」 「先生は、人それぞれの個性を伸ばそうとしているのじゃないのかなあ。芸術というのは、良し悪しを一つの基準で決めてしまえるようなものではないんだから、結局はその人の持っている特性をいかに伸ばす…
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